死に瀕して脳裏に浮かんだこと


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昨日の夕ごはん

中華丼、春雨とニラの卵スープ、ザーサイ

帰宅が遅くなったので、冷凍ご飯を解凍して中華丼

これは夫の分で私はこの半分くらいの量

昨日は午前中ミーティングで司会

その後も夕方まで接待の仕事

朝から夕方まで人と接して自宅に戻るともう疲れて何もする気がしない

食事は静かな環境でしたいので外食もノーサンキュー

そうなると、自分で作るしか無い

丼ものは食べるのも簡単で重宝

今日も忙しいでのいよいよ鍋奉行さまの出番かな

死から生還した人の言葉

先日、入院中の女性を仲間と訪問

ひとり暮らしをしていた彼女は自宅で倒れ、

三日目に近所の人に助けられ生還したが、

右半身に重い麻痺が残ってしまった

彼女は友人に相談し私たちがその友人の依頼を受けて面談することになったその二回目

彼女が助けが来るまでの3日間、

火の気のない冷え切った部屋で、

ベッドから引きずり下ろしたかけ布団にくるまりながら考えたことを話してくれた

右半身が麻痺していることに気づいた彼女は、

もう行きたいところには行ったし、美味しいものも十分食べた

このような身体で生きていくのは辛い

なので「このまま死んでもいいか」と思ったという

しかし、その時彼女が10代の頃から現在に至るまでの人生の中で、

人を妬み、それゆえ他人にしてきたあんなことこんなことが、

走馬灯のように思い返され、

「この醜い心のまま死ぬのは嫌、この心の重荷をおろしたい」

という思いにかられたとのことだった

そして、「もし助かることが出来たなら、

これからはもう人を妬むことなく、

生かされていることに感謝して生きてゆきたいと願った」と静かに語った

彼女が「時には他人を蹴落として生きてきた」と言った時、

目の前の車椅子に弱々しく座っているその女性の姿からは想像できなかったけれど、

元気だった頃の彼女の写真を思い返すと、たしかに自信に溢れた雰囲気だったので、

そんなこともあったのかとも思われた

ともかく、それまで自分の思う通りに生きてきた彼女が、

突然発作に襲われ気がつくと自分の身体さえ自由にならず、

真っ暗な部屋で来るともわからぬ助けを待って3日も過ごすという、

壮絶な時間を過ごしたことで、

自分の生き方を大きく悔いる機会を与えられたことに心が震えた

彼女の話しを聞きながら、私だったらこんな時何を思うのかと考えた

彼女は私より20歳ほど年上なので、

「もう十分生きた」と思うのは理解できるにしても、

私はこれほど自分の罪に敏感になれるだろうか

私は年がら年中人を妬んでいる

そのことで他人に害を加えることはないけれど、

気がつくと何か面白くない気分になっている

しかし、死をまえにした彼女がおのれの罪におののいた言葉を聞いて、

むしろ私は救われた

ニンゲンの心にピュアなものがあって、

それが絶望の淵にあって輝きを放ち始めたように感じられたからである

彼女の心に私は人としての希望をみた

自由であると見えないものが不自由になったときに見え始める

これから先、なにか試練が襲ってきても、

そこから見えてくるものに希望を見出すことができる

私は人と接するととても疲れるので、ひとり時間が一番好き

でもそれは楽ではあるけれど、自分の殻に閉じこもり成長の機会がなくなる

人の魂に触れることがなければ、自分の魂のことも考えることはない

なので、週に一回彼女を訪問することは、

私にとっても必要な機会であると捉えている

彼女を見て思うのは、人の肉体は有限であるということだ

そう思うと今日という一日を限りあることとして過ごしたいと思う

そして私の心の中のピュアのものに対していつも敏感でありたい


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