ニンゲンの不平等さを学んだ「家」

昨日の夕ごはん

イワシの照り焼き丼、もやしと舞茸・ピーマンのきんぴら、冷奴、

アサリの味噌汁、グレープフルーツ

一枚100円のイワシの開きを買って照り焼き

焼き立てに山椒を振って食べたらとても美味しかった

スーパーでアサリを買って塩出しして味噌汁にしたら、

夫が「美味い、美味い」と私が飲んだ後の味噌汁の汁まですすって飲んでいた

いつも野菜や豆腐の味噌汁ばかり作っていたけれど、

こんなに好きなのだから、

スーパーに行った時は貝を買って味噌汁を作ってあげよう

私の「家」の履歴書 その1

24年前に出版された文藝春秋刊「家」の履歴書を、

空き時間気分転換にぼつぼつと読んでいる

著名人の「家」に対する思い出はなかなか面白い

私は今までいくつの「家」に住んだのか数えてみると、

10回転居で住んだ「家」は7箇所であった

特に夫と結婚してからは7回も引っ越しを繰り返している (T_T)

現在住んでいる持ち家に戻ってから9年経過

現在、生家に次いで記録を更新中

次に引っ越すのは戸建てで生活することが困難になって施設に入居する時であろうか、、、

私が生まれた「家」

これは私が生まれた家の二階の見取り図の一部である

私が初めて自室を与えられたのは、小学一年になった時だった→図の①

元々廊下だったところを仕切って勉強部屋にした4帖くらいの広さ

片面がすべて窓、その向かい側は障子の細長い狭い空間だった

私の机を置いた正面の壁には、

乃木希典の船上での勇姿を描いた額入りの大きな肖像画が掛けられていた

窓の外にはすこし離れてうちの大きな古い倉の壁が見えていた

倉の向こうは漁港で窓を開けると潮の香りがした

急ごしらえの私の部屋は見ての通り両親の部屋とは障子一枚隔てただけなので、

プライバシーは皆無(笑)

寝る時は障子を開けて両親どちらかの布団に潜り込む

小学一年になっても母のおっぱいを吸って寝て、

父に「またおっぱいをすっているんだろう」と笑われた

母も末っ子の私をいつまでも赤ちゃん扱いしたかったのだろうが、

小学生になってそれがとても恥ずかしいことだということを感じるようになり、

ある日を境におっぱいからきっぱり足を洗った(笑)

小学3年の時長姉が都会の学校に転校したので、

私は次姉が使用していた②の部屋に移動、10帖くらいあった

しかしここは無理に増築した部屋で天井近くに小さな窓があるだけの暗い部屋だった

部屋の前には倉に続く急な階段があって、

そこからねずみが上がってきたことがあったので、

絶対に自室のドアを開け放しにしないよう言われていた

ところが一度だけ帰宅したらドアが開いていたときがあった

その時はネズミがいるのではないかと怖くて入ることができず、

父にチェックしてもらってから、こわごわ自室に入った

この部屋での思い出は部屋同様暗い

なにかが潜んでいるようなほんとに陰気臭い部屋だった

小学6年年になり次姉が長姉に次いで都会の学校へ転校したので、

やっと③の部屋に移動

この部屋は15帖くらいあったが、父が無理に増築して作った子ども部屋なので、

部屋の半分の天井が傾斜した屋根裏部屋

広いは広いが細長くやはり薄暗い部屋だった

しかし、私の部屋へ行くには客間を通らねばならないので、

一見秘密の小部屋のようで、ひと目につかないところが気に入っていた

ドアから一番遠いところに勉強机があり、

両親が抜き打ちで部屋に入っても秘密事を隠す余裕があった

ベッドの横は押入れなので、友人が遊びに来た時はここになんでも突っ込み片付ける

けれども押入れは形ばかりで天井が傾斜していて、かがまなければ使えない

使いづらい構造であった

とはいえ見るからに屋根裏部屋然としていたので、

私は自分が物語のヒロインになったかのように、この部屋で想像の翼を広げていた(笑)

部屋を移動した時は、私も姉たちのように中学になったら都会の学校へ転校する

それまでの1〜2年の辛抱、、、と思っていたが、

突然両親から高校も地元の学校へ行くように言われたので、大きなショックを受けた

その頃、姉たちは両親が子どものために購入した都会の新築マンションに住んでいた

なぜきょうだいの中で私だけがこんな田舎の屋根裏部屋で青春を過ごさねばならないのか、、、、

私は初めて人生の不平等さに打ちのめされた

この部屋で過ごした7年間は私の性格に大きな影響を与えたと思う

たった二歳しか違わない姉は、都会のお嬢様学校で特別な教育を受けている

それなのになぜ私は辺鄙な田舎の学校に行かねばならないのか

転校させない理由は先に都会へ行った長姉がグレてしまったから、、と知って、

両親に強く抗議したが、

両親は子どもを中学から親元から離したことを深く悔いて、

私だけは親元でしっかり育てようと教育方針を変え、

どんなにお願いしても都会へ出してはもらえなかった

その長姉は数年前遺産相続に異議申し立てをして私たち妹と縁を切った

もし、両親が子どもを手元に置いて育てていたら私たちきょうだいの関係は変わっていただろうか

私達きょうだいは思春期離れて生活していたので、

一緒に遊んだ経験は私が小学校低学年までである

私は末っ子なのでいつも姉のおさがりで育った

夫も末っ子で農家の次男ということで、私よりも親から大きく差別されて育った

なので、お互いに末っ子の痛みを共有している

今では夫が末っ子なので結婚したかもしれないとさえ思っている

ともかく、このような暗い環境の部屋で育ったので、

大人になり自分で家を建てるときには絶対明るい部屋にしようと決めていた

その結果、初めて建てた家は、、、、

それは、またの機会に m(_ _)m



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