人生最大の試練を経験した小さな「家」

昨日の夕ごはん

手作り餃子、しじみの味噌汁、小松菜の胡麻和え、キムチ、

ゆ九穀米入りご飯

桃、牛乳寒天(写真なし)

休日だった夫と一緒に作った

出来たての餃子を食べ、休日の醍醐味を味わった

家の履歴書6 家族三人、耐えに耐えて過ごした「家」

前回は、番外編と称して母が購入した家に関して記した

今回はまた私たちの話しに戻そう

ブランド住宅を建て順風満帆な生活を送っていたが、

家を建てて間もなく夫が仕事を辞めてとある学校で学びたいと考え出した

それを夫から聞いた時、家を建てて間もない時であったので、

私は大反対した

しかし、不思議なことに数年後私もその学校に入って勉強したいと思うようになった

問題は家のローン

建てて五年しか経っていないのでローンの元金は全く減っていない

思い悩んで友人に相談

するとしばらくして、その友人から私達の力になりたいので、

当時住んでいた賃貸から引っ越して、

私の家に住んでも良いとの申し出があった

彼女が当時払っていた家賃と私たちの住宅ローンの返済額が同額だったということもあり、

彼女のご主人からの許しが出たときには、

奇跡が起こったような気持ちになった

こうしてとりあえずではあったが、

私達夫婦は友人一家に家を貸し、

在学期間住宅ローンを払うメドが立ったところで東京の学校を受験

二人別々の学科に新入生として入学を許され、

東京へと出発した

学校を介して住むことになったのはこの「家」である

専有面積約40㎡
この「家」で私は生まれて初めてゴキちゃんに対面した

東京の郊外、木造2階建てのアパートで、

私達が通う学校まで徒歩3分のところにある築十年ほどの建物だが、

外廊下を子どもが走ると部屋が揺れた

私たちの部屋は南西角部屋で、断熱材の入っていないリビングは夏38度になった

この2DKの部屋以外物置もないので、

部屋に置ききれない荷物は台所の隅に段ボールを積み、保管した

それまで住んでいた家の居住部分の延床面積は130㎡くらいあったので

一気に三分の一以下

この学校を出てからのことはまったく未定で、もとの家に戻る保証はなにもなかったので、

私達は家具やモノの大半を手放し東京へ来た

そこまでして勉強したいと思ったのは、40歳という年齢もあったと思う

人生80年としてちょうど折返しの時

それまでの生き方に「これで一生終わっていいのか」という思いになった

死ぬ時に後悔する生き方だけはしたくなかったのだ

ところが、入学して4ヶ月後、夏休みを母のマンションで過ごし、

戻ったところで息子が原因不明の病に倒れた

発症した時の病状は深刻で私たち家族はどん底に突き落とされた

それからは、モノだらけで狭い6帖の和室が息子の病室となった

幸い数カ月後に病名が判明し投薬治療が始まったが、

中学に登校できるまで一年半、息子はこの部屋で闘病生活を送った

息子の布団の頭のところにはいつも将棋盤があり、

息子は体調が良い時は起き上がって詰将棋をしていた

しかし、勉強をするまで体力は戻らず、私は息子の将来を思い毎日のように涙した

発病から一年半が経過して中学3年になった時、

息子はやっと登校できるようになり復学

受験生というのに、学力は中1のまま、、、、

しかし、このアパートの環境は最高だった

狭いアパートなので家族はいつも一緒

夫もここで論文を書かねば資格を得ることができない

夫の必死に学ぶ姿を見て私も息子も負けずに勉学に励んだ

親子三人、泣いて笑って過ごした三年間

このアパートの玄関から大家さん宅の大きな柿の木が見えた

寒い土地に育った私は生まれて初めて柿の木を見た

東京では息子が病気になったこともあって、長期休暇を母のマンションで過ごす以外は、

三年間一度も家族で観光にも行かず過ごした

平日は学校と家の往復のみで精一杯の日々

東京暮らしと言っても家と学校と最寄り駅の記憶しかない

まさに東京では”いのち”と向き合った濃厚な時間だけが流れていた

夫の退職金を元に東京へ出た私達であったが、

東京での生活が終わる時、我が家の貯金は一ヶ月の生活費しか残っていなかった

(息子のお年玉貯金は除く)

資格を習得し夫は新たな仕事を得て、地元に戻ることになったが、

こちらに購入した家の住宅ローンを返済するだけの給料は期待できない

幸いなことに友人一家がまだ借りてくれるというので、

家を貸したまま私達は次なる「家」へと移り住むことになった

経済的にも精神的にもキツイ東京生活であったが、

「東京に行って良かったか?」と聞かれたら、即「もちろん」と答える

人生は一度きり

試練にあったが、新しいことに挑戦して良かったと思う

今までの人生で一番うれしかったのは、

大人になった息子が「あの時、東京で暮らして良かった」と言ってくれたことである

私は息子が親の都合で不慣れな土地へ連れて来られ、闘病したことを申し訳なく思っていた

しかし、息子は息子で東京で新たな友人を得、

東京で経験したことは、その後の自分の人生にとってプラスとなったと捉えている

息子が医師の資格を得てから、

日本全国あちこちの病院で研修を受けようと当地を飛び出し、

知り合い一人いない土地で修行を始めた時、

私が「よし!行って来い!」という気持ちで送り出すことができたのは、

苦労すればするだけ、人生が豊かになることを経験したからだと思う

今こうして間取りを見、

私もあの時苦しみながらも「自分の殻を破る」経験ができたことを感謝している

次回に続きますm(_ _)m



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