苦しみの最中にいる人が手にとった本


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昨日の夕ごはん

ほっけの味噌漬け、ほうれん草の胡麻和え、なめこと大根のゆずポン酢和え、

ズッキーニと大根の味噌汁、ご飯

自家製味噌に漬け込んだほっけ

身がしまって美味しかった

半額で購入したズッキーニは茄子の代わりに味噌汁に

生のなめこはさっと湯がいておろしと合わせてみた

こんななんでもない夕ごはんが好き

突然半身不随になった女性が読んだ本を読んでみた

昨年冬、突然脳梗塞で自宅で倒れ、

三日目に近所の人によって助け出された70代なかばのA子さんと月2回ペースで会っている

私は元気だった頃のA子さんを知らないが、

倒れる前の写真や彼女の話からとても活動的で人の中心にいた女性であることを感じた

前回彼女に会った時、最近北条民雄さんの本を読んでいることを聞いた

恥ずかしながら私は「北条民雄」という人物のことを全く知らなかったので、

帰宅してから調べ、次回会う時のために著作を借りて読んだ

読んだのは彼の代表作「いのちの初夜」

北条民雄さんは1914年朝鮮の首都京城生まれ、徳島県に育つ

20歳のときにハンセン病を発病

入院後、本格的に創作を開始

1936年「いのちの初夜」で第二回文學界賞を受賞

結核のため23歳で夭逝した作家である

「いのちの初夜」は主人公尾田が療養所に入所するシーンから始まる

その門に一度足を踏み入れたら、二度と出ることは出来ない当時の状況から、

尾田は入所ギリギリまで自殺を考えている

そして、入所直後入所している人たちを見て、

生きる希望を失い自殺を試みる

そこで知り合った同じ病を患う佐柄木と、

共に施設で過ごした初めての夜の語らいを通して、

尾田はそこでの新たな人生を歩む希望を見出すという内容だった

A子さんは半年間、脳神経外科病院に入院後、

一旦自宅へ戻ったがほどなく一人暮らしは無理と判断

自ら選んだサ高住に転居した

入院していた時は、騒々しくはあったが寂しさを感じることはなかったが、

サ高住に転居してみると、

周りの人は自分にほとんど興味を示さず、

閑静な環境が彼女にとっては逆に孤独に支配される状況になってしまった

時折、友人は訪ねてくる

しかし、友人の「きっと治るからね」という言葉も、かなわないことを知っている

病気をする前と後とでは、自分の生きていく環境が全く違ってしまった

もう二度と元気な頃の生活には戻れない

そう語ったA子さんが、自宅に所蔵してあったこの本を再び読もうと思ったその気持を考えた

A子さんも主人公の尾田も、

もう二度と以前の生活には戻れないことが共通している

病気は悪くなることはあっては良くなることはない

今まで住んでいた世界が発病と同時に全く別の世界で生きなければならないことを余儀なくされる

死にたい

しかしいざとなると死ぬことすらできない自分がいる

とても重いテーマだ

しかし、この小説の最後は絶望で終わってはいない

人間のいのちの力強さがみなぎっている

A子さんは元気なときに北条民雄さんの本を読んでいた

そして、今再び彼の本を手にしてどのように感じたのだろう

それを次回聞いてみたいと思った

私も20代の初め頃、この本の主人公尾田のように、

毎日死ぬことばかり考えている時があった

その時は生きていることに希望を見出すことが出来なかった

半身不随になったA子さんも、助けだされた時はそのことに感謝したが、

現実が見えるに従い、

不自由な身体に生きる希望を失い「なぜ生かされたのだ」と思ったという

五体満足で家族もいる私が、

彼女の痛みを共有することが出来るのかと自分に問う

しかし、私は身体は健康でも心に不自由さを抱えて生きていると思う

その不自由さをもってなら彼女の心に寄り添えるかもしれない

人の心はどこでつながることができるのか

人は人の「強さ」ではなく「弱さ」でのみつながることができると信じる

私はA子さんが北条民雄さんの本を再び読もうと思ったことが嬉しい

人は常に絶望を抱えて生きる

絶望を抱え、なぜ生きることができるのか

それはその人のいのちの力によると思う

人は苦しみとどう向き合い生きるのか

それをA子さんとともに考えていきたい


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