不用となった遺品を整理しながら考えた


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昨日の夕ごはん

鱈のフライと野菜盛り合わせ、

ほうれん草としいたけの煮浸し、もずくときゅうりの酢の物、玉ねぎと揚げの味噌汁、

九穀米入りご飯

鱈わ半身買って前日はちり鍋、昨日はフライ

新鮮で美味しかった

もったいなくて捨てられない(~_~;)

家を売った友人宅から、

彼女が最後の最後に捨てられずに残して置いたものを引き取った

それは何かと言うと、

祖母や母親の使っていた裁縫箱、

そしてそれに付随する糸やボタンといった手芸小物

「これ、どうしよう、、」と情けない声で言うので、

「じゃ、私がどうにかするね」と引き取った

彼女にしてみたら、

おばあちゃんやお母さんが丹念に取っておいたモノを、

使わないからとゴミ袋に捨てるのは忍びなかったのだろう

さて、それを家に持ち帰り、あまりにも古い糸は捨てた

一体これは何十年前の糸かと思うものもあった

中には、糸巻きにわざわざ「糸がなくなるまで保証します」と書いているのもあったので、

巻きの残っているのは、

捨てずに色別、種類別に分類

終わってから、今度はボタンの入っていた缶をひっくり返し、

貝のボタンなどまだ使えそうなものを取り避けた

そんな作業をして時計を見たら、もう就寝時間

ふと私の人生の残り時間をこんなことに費やしていていいのか、、、、と複雑な気持ちになった

しかし、買うとなったらおカネを出さねば買えないものを、

簡単に捨てる気持ちにならない

なぜかというと、やはり20年ほど前に貧乏のどん底を経験したからだと思う

貧乏な生活になったのは、

夫と私が夫婦でとある学び舎に入り学生生活を送ったからである

東京で数年間生活する間に夫の退職金や蓄えはみるみる減っていき、

卒業する時には貯金残高が30万だった

それから引っ越しをして当地に戻ったが、

引っ越し貧乏とはよくいったもので、

ほんとうにカツカツになってしまった

生まれ育った家は裕福だったので、

こんなにおカネがなくなったのは生まれて初めての経験で、

ほんとうにおカネというものは底をつくものだということが身にしみた

その影響で、家で食べたほうが安いので夫婦で外食は年に数回しかしないし、

行くのはうどん屋か安い中華料理屋のみ

結婚記念日もなんのお祝いもしない

そういう生活を続けるうちに外食自体嫌いになってしまった

服だって買えないわけではないが、

友人が服をくれるのでそれを着て生活している

宝くじを買ったとして大金が当たっても、

おそらく同じ生活をしていると思う

今の生活が一番ストレスがない

食べていく分には困らないし、

こんな生活だと贅沢に頭を使わなくて良いのでとても楽

ただ、一番心配なのは、

退職後、夫が先になくなったとして、私が年金と貯蓄だけで、

施設に入って寿命まで生活できるかということ

長生きなんぞしようものなら、きっとおカネがなくなる

なので、今のうちに少しでも貯金を増やさねばと倹約している

では、いったいいくら貯まったら安心するのか

それはまったくわからない

もし、私の寿命がわかったら、安心して生活できるのに、、、と思うが、

それはそれで後何年、、、と焦るかもしれない

全く私というニンゲンは生まれながらの心配性だと夫は呆れている様子

私は私で夫のお気楽な生活を冷ややかに見ている

いや、どうも友人の処分品をみていると、

色々なことを考えてしまう

先日は、友人のお母さんが遺した高級なお線香がダンボールから出てきた

彼女のお母さんは線香をほとんど使わないまま、

50代の若さでがんに冒されあっという間に亡くなった

人の寿命とはわからぬもの

せっかく買った線香も使われること無く数十年もの間引き出しに入れられたままだった

亡くなった人の遺したモノを見ていると、

人生のはかなさを思う

私も私の母の遺品は母を知る他人に差し上げた

肉親の遺品はどうしても捨てられない

今回は友人に代わって故人を偲びつつモノを処分させていただき、

私も我が身の老い先を考えた


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