不条理を受け入れた義母の人生


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昨日の夕ごはん

豚肉ジンギスカン、ぬか漬け、金時豆の煮豆、

大根と揚げの味噌汁、麦入りご飯

昨日は夫が夕ごはんを担当する日だったが、

金曜日から腰痛で弱っているので私が担当

しかし、毎日毎日ご飯の支度をしていると、時には手を抜きたくなってくる

そこで、昨日は先週スーパーで購入した牛焼き肉のパックが美味しかったので、

そのメーカーで出している豚肉ジンギスカンのパックを購入して、

ありあわせの野菜で焼いてみた

1パック500g2人で食べるには多いと思ったけれど、

思い切って焼いた

だが、還暦近い我が身には少々重すぎた

食べ終わってから消化できるか不安で、少し後悔

「もう少し食べたい」くらいで止めねばと反省した

次々と悩みに囚われ、義母を想う

昨日は夫も在宅だったので、食事時義母の話題になった

義母は大正終わりの生まれ

東北の農家の跡取りだった義父と見合い結婚

結婚当初は義父の両親の他その親も存命で、

義父のきょうだい何人かも同居

生後重い病で脳に障害を負い、2才児並の知能だった義父の妹も同居していて、

その女性が50代で亡くなるまで家で面倒をみた

現代なら絶対同居しないであろう条件の家へ、よくお嫁に来たねと夫に言うと、

「当時は周りにあそこへ嫁にいけと言われたら、

言う通りにする時代だったのだ」と言った

義父は戦争で身体を壊して夢を絶たれたことに生涯不満を持っていて、

毎晩酒を飲んでは同じ愚痴を繰り返した

それを義母はいつまでも隣に座りただ黙って聞いていた

義父は長男である夫の兄が出世することに希望を託し、

義兄のために出稼ぎにまで出ておカネを作った

義母は男手のない家で姑や義妹の世話に明け暮れた

おカネの管理はすべて姑が握っていたので、

自由になるおカネもなく、物事を決める権限もなかった

私が結婚して初めて夫の実家に帰省した時、

義父が私の目の前で義母を馬鹿扱いして罵った

私はその時から義父に対して嫌悪感を抱くようになり、

軽蔑するようになった

その義父も私が結婚して五年ほどして病で亡くなった

義父の葬儀での義母は非常に落ち着いて淡々としていた

その後義母は亡くなるまで20年ほど一人暮らしをしていたが、

同じ市内に住む娘家族の助けもあり、

友人や親族と温泉旅行に行ったりして、小さな喜びに感謝して過ごしていた

長男夫婦と同居したいという夢は果たされることがなかったけれど、

最期は娘やお嫁さんに看取られ幸せだったと想う

私が担当した「家を売った友人」の不要品のイベントもほぼ終わった

すると、今まで考えることを止めていた細かな問題が心に浮かぶようになった

命に関わる問題ではないので、

大した問題ではないと思う

そんな小さな問題に囚われてもやもやしている時、

いつも義母を思い出す

義母は生きている間どれほど「不条理」にさらされたことだろう

義母が生きていたら「あの時どんな気持ちだった?」と聞いてみたいことがある

夫に聞くと義母は「それが人生だ」と受け入れていたように言うけれど、

ときには心の底から叫びたい時もあったのではないだろうか

夫と結婚したことで、義母の人生に関わることが出来、幸いだったと思う

そうでなければ、私はもっと早くに人生に音を上げていただろう

義母という女性の生き方は、今では全く受け入れがたい人生だと思うけれど、

不満も言わずじっと耐え、生き抜いた義母の姿は私の励ましだ

私も若い時は義母は遠い存在だったが、

歳を重ねて義母のことを想う日が多くなった

人生は不条理だが、

その人生を耐え抜いた義母を心から尊敬している


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