今日で夫の十日間の休暇も終わる
昨晩は今年の休暇の思い出に
「最終日は近場の保養地に出かけて、美味しいピザでも食べてこよう」と話していたが、
朝起きて見ると天気はイマイチ
初孫ツアーでは随分散財してしまい、食費の予算もギリギリなので行くのは止め、
おうちでピザを作って食べよう、ということになった
初孫ツアーでは到着した夜、
息子のお嫁さんのご両親に料亭でコース料理をご馳走になった
あちらの気持ちを考えると残しては申し訳ないと無理して食べたら、
お腹が苦しくて具合が悪くなりそうに、、、、
翌日にはまた長距離移動しなければならなかったので、
ああいう場合は事情を話して残すべきだった
そんなわけで、もうしばらくは外食は結構、、、というキブン
こちらも接待をする時、どうもてなすのが良いのか本当に悩む
さて、今朝夫と息子宅を訪問した時の話しになった
初孫対面ツアーから戻って三日目にしてやっと振り返る気持ちになったのだから、
二人共相当疲れたのだと思う
今回の旅は息子が着いた当日深夜まで留守なので、
その日は孫とお嫁さん、その両親と会い、翌日息子の顔を見て帰るという計画だった
初日、息子の住む地に着いたので、まずお嫁さんに到着を知らせた
昼食後、息子に言われた通りタクシーで息子のアパートの近くにある某所に向かった
途中タクシーの中で約束どおりお嫁さんにLINEでその旨伝えた
某所に着いたが誰もいないので今度は電話をした
すると、数分後お嫁さんが歩いて迎えにきた
案内された息子の住むアパートは私たちが立っていた場所の真ん前だった
そんな近くに住んでいるなら到着時間も推定できるわけだし、
お嫁さんの両親も先に着いて孫と一緒にいるので、
お嫁さんが先に某所に来て、
我らを出迎えてくれても良かったのでは、、、と私はちらりと思った
はるばる来た土地で、
ひと気のない場所に立ち、重い荷物を持って迎えのものを待つ心細さと言ったら、、、
やはり夫もそれは感じたようである
些細なことだが、何か歓迎されていないと感じてしまう、、、
いやいや、しかしそんなふうに受け取ってはいけない
お嫁さんは出産と育児で疲れていたからだ、、、、と夫と私は語り合った
翌朝、駅近くの宿からそろそろ息子のアパートに出かけようと身支度をしている時、
息子から夫にLINEがきた
それには「今日、来るんだったっけ?」とあった
それを見て夫は「あいつ、何を言ってるんだ」と呆れたようにつぶやいた
息子とは帰る当日朝の一時間半ほどしか会う時間がないことは、
事前に知らせていた
当初息子は「大丈夫、僕は朝早いのには慣れているからホテルまで車で迎えに行くよ」
と言っていた
それが、である
それで私たちは息子に迎えを頼まずタクシーで向かうことにした
帰りは息子が最寄り駅まで送ってくれるだろう、その時まで話しができる、、、と、
考えていたが実際は息子が時計を見て「タクシーを呼ぶね」とさっさと電話をかけ、
私たちは息子一家に別れを告げた
タクシーの中で複雑な気持ちになったのは確かである
親は子を慕うが、子は日常の喧騒の中、のほほんと現れた離れて暮らす親が煩わしい
そんな印象を受けた
まるで小津安二郎監督の「東京物語」そのままである
空港に向かう新幹線の中でも私たちは寡黙であった
夫も親子の気持ちのギャップを思っていたのだろう
今回私たちが訪問したタイミングは息子にとって最悪だったかもしれない
私たちが訪問した週は、息子は息子の家から遠く離れた地で早朝から深夜まで、
特別な訓練を受けて深夜帰宅した翌朝だったから
嫁も顔色が悪かったので、出産の疲れが取れないのだろう
息子夫婦にも事情があるのだ
これが現実、誰が悪いわけではない
夫と「息子の結婚式に彼の地に行ったら、それ以後は息子らに会いに出かけることはないだろう」
と話し合った
もちろん私たちは息子一家が我が家を訪問することは歓迎する
でも、それもあまり期待しないことにしよう
今回の初孫対面ツアーで私たちははっきりとお互い別の世界で生きていることを悟った
やはりこれからの人生は、息子に期待することでもなく、孫中心でもなく、
私たち夫婦ふたりの生活に向き合うということだ
お互いに穏やかな気持で助け合い残された人生をそれなりに楽しむ
それが私と夫が出した結論
さあ、次は結婚式だが、これも粛々と進めよう
結婚式は子育て最後の締めくくり
フィナーレに向けて後悔しないようにしっかり気持ちを落ち着けて、、、
今日の聖書通読箇所
ヨハネの手紙第二
今年から新約聖書を最初から一日一章読んでいます