昨日の夕ごはん
マイノリティが好きな私の好みのモノが見つかった
一昨日の朝、私のお気に入りのマグカップを割ってしまったので、
他のマグで朝食を頂いている
ただそれだけのことなのに、気分がのらない
昨夜、北欧ブランドのカップをネットで探したが、
有名どころは友人、知人の誰かが使っていてマネをして買ったようでイヤ
これはもうすぐには手に入らないかな、、と諦め気分になったところで、
夫が使っているマグカップのブランドを思い出した
それは私の親友が16年前にプレゼントしてくれたカップ
毎日使っているので白い内面がコーヒー色に変色しかけている
新しいのを買おうかと夫に打診したが、気に入っているのか答えはNOであった
あのカップは日本ではあまり有名でないので、なかなか手に入らない
しかし、ネットで検索すると某フリマサイトに出品されていた
しかもモノはしっかりしているのにお値段も手頃
夫のカップと同じ形
即、購入!
メーカーはOTAGIRI
日本で海外輸出用に作られた陶器メーカーで、1994年に買収されて現在は存在しないようだ
このカップを持っている人は友人知人にはいないと思うだけで嬉しい
私がピアノではなくパイプオルガンを習おうと思ったのも、
私が直接知っている人の中にこの楽器を習っている人がいなかったからということもある
ピアノのほうが一般受けするのに、損な性格である
似たもの夫婦で夫も同じ
ともかく、これから夫とオソロのカップで朝を迎えることになる
このカップはとても頑丈なので私の寿命まで持つかもしれない
ちなみに二個セットで販売していたので一個割れても大丈夫(笑)
過去にきっぱりと幕をおろす
夫から私の考え方のクセを指摘された
いつまでも嫌なことを思い返し、ぐちぐちこぼす
夫は「またか、、、、」と憂鬱になる
ほかの人が関わっていることなので、私の努力でなんとかなることでもない
夫からは「忍耐しなさい」と諭された
毎朝、夫の出勤を見送ってから先日購入して婦人之友のバックナンバーを読んでいる
今朝は「過去からの自由」と題した羽仁もと子さんの言葉を読んだ
(婦人之友 1983年12月号 34〜35ページ)
人間の清新さは、子供でもおとなでも男でも女でも、
なつかしいものにも憎らしいものにも、
心配なことにも面白いことにも、囚われない引かされない自由さをもって、
ただその時々の現在がたしかに自分に持って来る仕事に集中し没頭しているその態度にあります。
そうした歳月の積み重ねによって成長して来る人にあります。
(中略)
われわれの過去が自然にわれわれの血にのこり、われわれの境遇にのこり、事情にのこっています。
(中略)
現在によく生きることの出来る人は、過去を清めることが出来る人です。
われわれの過去に対するつながりはそれで十分です。
それが完全です。
それ以上に過去を意識することは、囚われるというものです。(昭和5・12)
89年前に書かれた文章であるが、私の心に響いた
毎日を新たな気持で過ごせる人は幸いである
過去の栄光も失敗もすべてそこに置いて、
毎日新しい朝を迎えることが出来たら、
謙虚な気持ちでいじけることもなく過ごせるだろう
今日という一日に集中して過ごす
それを積み重ねていくことで私という人間が形作られていく
私が生きていることの意味はなにか
息を引き取るそのときまで、私がなすべきことがあるはずだ
目の前にある小さな仕事にもその答えがある
そのように励まされた
私たちから過去になっていく事々に、自然にきっぱりと幕を下ろす
それはある決心を持って取り組まねば難しい
今日はそのことを意識して一日を過ごそうと思う