昨日の夕ごはん
五目野菜炒め、豆腐のサラダ、コロッケ(前日残り)
白菜と揚げの味噌汁、九穀米入りご飯
新婚の頃よく作っていた野菜炒めを作った
醤油と酒と砂糖と塩、ごま油で味付け
昔は鶏ガラスープの素だのシャンタンだのがなかったので、
このような素朴な味付けだった
先月28日から四十年以上前の婦人之友を一冊づつ読み返しブログにまとめている
COVID-19が世界中に蔓延し、私の周りの環境が激変する中、
過去を振り返ることで、これから生きるうえでの方向性が定まるのではないかと思い、
読み返すことを始めた
私が十代の頃の世の中の様子を振り返って、
それから現在までの時の流れの道筋が次第に見えて、
「ああ。そうだったんだ」と理解が深まってくる
それと同時に、十代のときから現在に至るまで四十年以上もの間、
私はなんとのほほんと生きてきたのかとため息が漏れる
例えば、昨日読んだ1976年8月号では読者ゼミのコーナーで、
『原子力発電の安全性をめぐって』
という藤本陽一氏(当時早大理工学研究所教授)の記事に注目した
氏は今から44年前に原子力発電所の建設に関して大きな不安を持ち、
時期尚早、
万が一事故が起こったら取り返しがつかないとはっきりと述べていたが、
それから35年後の2011年福島原子力発電所で最悪の事故が発生した
こんなにも危険な原発をなぜ作ったのか
一言でいうなら「お金」
米国と日本の利害が一致したということだ
藤本氏のその後を調べたが、多くの情報は得られなかった
その意味するところを考えると、心が暗くなる
私が十代だった頃、夕飯時にいつも地元の電力会社のCMが流れていた
そこでは「原子力発電はクリーンなエネルギーです」と明るく演出していた
それを見て何の疑問も持たなかった中学生の私
そのCMを見て明るい未来しか描かなかったが、
現在日本はその苦しみから逃れる術ももたぬまま、
今度は新たな感染の恐怖と闘っている
先日ラジオを聞いていたら日本近海の海水温が平年より5度も上昇しているという
専門家は今年も昨年並の災害が起こる可能性を示唆していた
今の状態で災害が起こり避難所生活になったら、、、、
「もう終わりだね」というツイッターの声を紹介していたが、
本当に考えるのも恐ろしい
この話題を夫に話したら、
夫が「東日本大震災とCOVID-19とどちらが大変な状況だと思う?」と聞いてきた
私が「それは今でしょ だってあの時は世界中ではなかったもの」というと、
夫は「それは違うね
あの時、もし最悪の事態になったら日本の半分の土地は住めなくなっていたからね」と言い、
「あの時は奇跡的に最悪の事態を免れたんだよ」と私をじっと見て言った
私たちは9年前に災いを逃れることができた
だが、その後また以前の生活に戻り、そして今回の感染が身に降り掛かった
異常気象も原発も感染も私にはつながっているように感じる
これは人間が欲望のままに生きた結果だと思う
警鐘を鳴らす人は存在した
だが、その声は多くの人の耳に残らなかった
しかし、今回のCOVID-19は今までの災難とは全く違う
すべての人がこの災いから逃れられない
この感染が終息した時、
その日は必ずやってくると私は信じているけれど、
私達の生き方は変わっているだろうか
このままではいけないという意識が強く働くようになるだろうか
その答えが知りたくて、
私は今日も過去の情報を集める
日本がどこへ向かって進んできたのか
それがどのような結果となっていったのか
それは40年後の今だから検証できることである
今回私が生まれた年の婦人之友を手に入れた
私が生まれた年にどんな問題が起こっていたのか、
当時の女性はどんなことに悩み励んでいたのかを知るために、、、、
私はこの長い春休みにこのような機会が与えられたことに感謝している
この試練を乗り越えた時、
ひとりでも多くの人が、
生かされたことへの感謝にあふれる社会へと変わって欲しいと願っている