今日の夕ごはん
自家製メンチカツと野菜盛り合わせ、冷奴、カボチャの甘煮、
白菜と揚げの味噌汁、牛乳ゼリーとキウイ
コロッケを作ろうかと思ったら、
じゃがいもがなかったのでメンチカツに変更
「自分の心は半分死んだ」と言う夫の側で
今日は午前中zoomで友人とミーティング
それぞれ近況を語り合ったが、
皆それぞれに悩みあり
Aさんはたった一人の姉の手術が決まった
姉は年下で完治の見込みのない夫の介護で身体を痛めた
Aさんは姉の生活費の援助もしている
姉の今後の回復を祈っている
Bさんは高齢の母の介護のため夫と別居して母と同居生活を開始
転居して間も無く体調崩すも、
他に頼れる親類もなく親の介護を担っている
Cさんは40歳過ぎた独身の一人娘の精神が不安定
70歳を超えた今も娘の精神的ケアをしている
施設に入所した義両親のケアも担当
Dさんは退職後離婚して自己破産してしまった弟の生活の面倒を見ている
弟はアルコール依存症とみられ、弟が病を受け入れ、
入院治療を受けるのが彼女の望み
そして、私
二ヶ月前に帯状疱疹により顔面神経麻痺になり、
心身が不調に陥った夫との生活
運転できなくなった夫に代わり、運転や仕事のサポートをしていたが、
日々の疲れが溜まっている
今日の5人に共通しているのは、
家族の問題が悩みの中心になっていること
自分が問題の中心になるのは最も辛いけれど、
それを周りで支える人も大変なものだと感じる
世の中には、きょうだいが困っても関わらない人もいる中で、
今日の友人たちは皆親身になって血縁者の生活を支えようとしている
今日友人の一人が、
自分のお金や時間を他者のために費やすことで、
常に自分の内にある思いと向き合うことになると語っていた
おのれの心の深くにある思いが何であるのか
もし、問題のある人に関わることがなかったら、
自分は良いニンゲンだと勘違いしたまま生きるだろうと。。。
その言葉が私の胸に強く迫った
先日夫が
私の顔の麻痺した半分は、
表情もなく死人のようだが、
同時に私の心も同じように半分死んでしまったかのように感じている
と言った
それを聞いて、
同情すると同時に、
だからこんなに疲れるのだ、と今の自分の状況に妙に納得した
発症直後は、放心状態で絶望の淵に追いやられている夫を、
肩に背負って歩いている感じだった
私も混乱したが、食事の世話、仕事は待ったなしでやってくる
そして、一体いつになったら立ち直るのだと夫を責めたくなる自分に落ち込んだ
昨日から夫は自力で通勤するようになり、
私の負担も軽くなった
冷たいようだが、夫の痛みは私には同じように理解できない
10年ほど前、私が外科的病で入院した時、
夫があまりに私の辛さを理解しないので悲しくなったが、
今回のことがあって、
あれはしょうがないことだったのだと理解した
それが今回夫の病で得たことだ
友人たちもそれぞれ悩みを抱えながら生きている
若い時は自分のことだけ考えて生きてきた私だが、
長く生きるということは、
他者の悩みを共に抱えて生きることなのだと感じた