夫のサバティカル休暇まであと半月となった
今朝、夫と休暇中の予定について話した
夫は来月、
①高速で2時間ほどのところに住んでいる友人夫妻を泊まりがけで訪問
ご主人とツーリングに出かけたいこと
②当地在住の大学時代の友人を我が家に招く
そのほか、8月には夫の義母の法要のため東北へ
そのまま移動し、息子家族に会いに行くことを確認
普段は家と仕事場の往復しかしない私は、
夫が休暇になったらむしろ忙しくなると感じた
夫が毎日休みで家に居る、ということは、
1日3回食事の支度をしなくてはいけない
大丈夫だろうか・・・・(⌒-⌒; )
来月は友人の愛犬シロも数日預かることになっているので、
色々と慌ただしい1ヶ月となるだろう
①の夫が友人とロードバイクで出かけている間、
妻同士はおしゃべりに興じていると思う
彼女はこの家に10年間住んでくれた恩人でもある
友人夫妻に貸したことで、
この家のローンを払い続けることができ、
その後この家に戻ることができた
友人夫妻と最後に会ってから10年くらい経ったのではないだろうか
再会が楽しみ
②に関してはとても憂鬱だ
彼の妻は料理を生業としている
その彼を料理が苦手な私の手料理でもてなそうというのだから、
気が重い
大体、私が私の友人を招く時は、
全て私が準備する
夫は来ても挨拶するだけ
それなのに、夫が友人を連れてきた時は、
私が料理を作って、あるときは宿泊の世話までする
不公平ではないか・・・
だが、昭和時代の婦人之友を読むと、
妻が夫の客をもてなすのは当たり前
つくづく頭が下がる
夫がわが家に友人を招くのは、
これが最後ではないかと思うので、
私も最後の力を振り絞って(大袈裟)頑張ろうと思う
大体良いフリをしようと思うから憂鬱になるのだ
ここは開き直って、自然体で行きたい
最高のもてなしは笑顔だ!
お食事の時は同席するけれど、
それが済んだら自室で仕事をすることにして退席
本当に私は人付き合いが面倒になったと感じる
30代の時は、人を招くのが楽しくてたまらなかったのに・・・
嫌だ嫌だと思うと本当に気持ちが重くなる
ビクトール・フランクルが著書「夜と霧」で、
「生きることから何を期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ」
と著していた
私の小さな悩みを、
この問いかけに当てはめてみる
視点を変えると、見えてくる景色も変わる
休暇中の夫の食事支度、
夫の友人のもてなし、
全て私以外のことに、
自分の時間を捧げることが嫌ということで共通している
しかし、それは私の限界を越えることではないし、
それを要求されているわけでもない
このことを「楽しんで」できるような器量が欲しい
毎日新しいメニューに挑戦するのも良し
逆に何日同じメニューに耐えられるか試してみるのも面白い
友人のもてなし料理も、
これを機会に昭和時代のもてなし料理の献立を再現してみるのも良い
友人の言葉ではないが、
やってみよう!の精神で、
「どうせダメだ」と諦めず、
シニアの時間を楽しもうと思う
今日の夕ごはん
ヒレカツとちくわフライと野菜盛り合わせ
卵サラダ
大根と人参、舞茸、ピーマンのきんぴら
金時豆の煮豆
ほうれん草と長芋と揚げの味噌汁
暑くなってきたので、
もっぱらこのブラを着用
身体を締め付けないのでとても楽