40年前の7月、
松田聖子さんが神田正輝さんと結婚した翌月
私は夫と結婚式を挙げた
私の父の仕事の後継者として婿に入った夫は、
父への遠慮からすぐ新婚旅行には出かけず、
8月のお盆休みまで旅行を待った
そして8月12日の夜、
仕事を終えてから青函連絡船の出航時間に合わせ、
家を出ようと早めの夕ごはんを食べ終えた頃、
テレビ画面に「日航機が消息を絶った」というニューステロップが流れた
消息を断つという時とが墜落と重ならず、
ただ「ショウソクヲタッタ」という言葉だけが、
脳裏に刻まれた
出発の時間になったこともあり、
私たちは何か大変なことが起こりつつあることを感じながらも、
その場を離れ旅へと出発
真夜中に出航する船に乗船
新婚旅行だというのに、
夫は個室ではなく雑魚寝の大部屋のチケットを取っていたことに呆然
お盆休みの真っ最中で大部屋も横になるだけのスペースはなく、
畳一畳のスペースに旅行バッグを置き、
それをクッションにして過ごした
青森に着いて列車に乗るときに、
夫が朝日新聞を買ってきた
その一面を見て、
昨夜の「ショウソクヲタッタ」の意味することが大きな写真と共に目に飛び込み、
言葉を失った
私たちと同じように故郷での親族との再会を楽しみにしていた人もいただろう
500人以上が乗っていたというのにも絶句
私は飛行機での帰省を希望していたが、
夫にとって飛行機は贅沢という思いがあり却下
そのことに不満を覚えて出発したが、
墜落の文字を見て、
今回、船の移動を選んだことに感謝した
それにしても、
その朝の列車の雰囲気は静かで、
笑い声など聞こえなかったような気がする
多くの犠牲
その捜索が始まろうとしている
それまで乗っていた連絡船は親子連れで賑やかだった
旅行を楽しみに飛行機に乗った人たちが、
皆一瞬にして犠牲になるとは、
なんと酷いことが起きるのか
今こうして生きていても、
だが、次の瞬間にはどうなるかわからない
そう思うと生と死がまるで紙一重であるかのように感じた
その日から今日で40年が経ったとは・・
40年という月日
あの時笑顔で私たちを迎えてくれた義理の両親、
叔父、叔母のほとんどは亡くなり、
まだ生まれていなかった私たちの一人息子は結婚し、
二人の子供の親となった
私も夫も当時の親より年老いた
あの事故を知る人も少なくなり、
タイタニック号沈没のように記録のみが残される時がくるのだろう
夫は今もこの事故に関しての特集をYouTubeで見ている
新婚旅行出発の日に起こった事故
やはり特別な思いがあるのだと思う
被害に遭った方とその家族友人・・・
どんなに多くの人が涙を流し、苦しい人生を歩んだのか、
そのことを思い黙祷を捧げる
今日の夕ごはん

鶏肉とピーマンの中華炒め←こちらのレシピを参考に作りました
冷奴わさび醤油
蒸しナス
ほうれん草と舞茸と揚げの味噌汁
私も愛用( ◠‿◠ )
速乾で肌触りの良いシニア向けのショーツです