高齢になって子と離れ家を建てた両親/お嫁ちゃんのお母さんから電話


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今日の夕ごはん

豚丼、なめこと大根おろしのゆずぽん酢、

かぶと揚げの味噌汁、白菜の浅漬

初めて白菜を一夜干しにして塩、ゆず昆布で漬けた

一晩で美味しく漬かり大成功!

高齢になって子と離れ家を建てた両親

今日、とある50代主婦の方のブログを読んだ

海外で生活していたが、

帰国して両親と同居する家を建てる経過を記したブログだ

ハウジングメーカーとの本契約を数日後に控えてお父さんの気が変わり、

計画が頓挫したことを最後にブログが中断していた

親の家を建て替えて二世帯住宅を建てるとなると、

子世帯だけで家を建てるのとは違い、

話しが非常に複雑になる

私の両親も八十代になってからの家の建て替えで、

同居していた姉夫婦との間に大きな亀裂が入り、

結局同居を解消し親世帯の家を別に建てた

同居していた姉は将来の親の介護を見据え、

少しでも介護しやすい環境にしようと計画したが、

父はそれまでの姉夫婦との生活より、

夫婦二人だけの気ままな生活を選んだのだった

姉は自分の親切が受け入れられなかったことに傷つき、

母が生きている間、両親が建てた家に一度も入ることなく、

父がひとり暮らしになって、初めて家に入った

私は姉から両親の気ままを嘆く話しを聞いて、

当時は同情もしたが、

のちになって両親の気持ちも理解できるようになった

当時40代だった私は、

両親が八十代になって子や孫におカネを遺すよりも、

自分たちのためにおカネを使って死にたいと父が話した時、

正直いって、そういうものかとがっかりした

自分のおカネをどう使おうが自由だが・・・

姉は「誰が介護をすると思っているの?」と怒っていたが、

両親は姉夫婦とのストレス多い生活に耐えられなくなったのだろう

家が完成したが、両親がその家に住んだのは一年

母が不慮の事故で亡くなり、

その後父は私の住む街の別宅でひとり暮らしを始めたのだった

両親が家を建てた時、

もう介護される生活も迫っているというのに、

わざわざ同居を解消して家を建てる父を理解できずにいたが、

あれから15年あまり経って自分が60代になってみると、

両親が自分たちだけの生活を望んだ気持ちも理解できる

周りは八十にもなったのだからと思うかもしれないけれど、

本人はいきなり八十歳になったのではない

ある時を境に姉夫婦に気を使わず生活しようと決め、

自分たちで頑張ろうと思ったのだろう

ニンゲンの心というものは、

その年令になってみないとわからないことが多々ある

今は父の思うようにして本当に良かったと思う

父は自分の人生に満足して亡くなった

色々大変だったが、そのことが私たちの慰めだ

お嫁ちゃんのお母さんから電話

夕方、夫と散歩に出かけた

夫の御髪は薄いので、氷点下の寒さがキツいだろうと、

私がかぶっていた毛糸の帽子を夫に貸した

途中足元が滑るので、夫の腕につかまって歩いたが、

私ではなく夫のほうが何度も滑って私が支えた(^o^;)

普段、夫と腕を組んで歩くことなどないので、

この悪路も私達には良かったかもしれない

帰宅するとお嫁ちゃんのお母さんから電話

今夜は息子が当直なので、泊りがけで孫の世話に来てくれたらしい

お母さんから孫の様子を聞いた

同じ孫の祖母同士、話しがはずんだ

お嫁ちゃんのお母さんはとても気さくな女性

話しやすくて心の壁を感じない

これからまた孫がお世話になる

こちらはなんの手助けもできないので、

お嫁ちゃんの両親には心から感謝している

お嫁ちゃんの両親が息子夫婦の側にいてくれるので、私もとても心強い

お二人には、いつまでもお元気でいて欲しいと心から願う


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