今年も味噌作りのシーズンがやってきた
親友から手作り味噌の依頼を受けた
私が作る味噌は最低でも10ヶ月発酵させてから食す
2年前、親友に仕込んだばかりの味噌を届けた時、
10ヶ月先、私はこのお味噌をいただくことができるかしら・・・
それまで生きていればいいけれど・・・
と心細げに受け取った
当時親友は脳梗塞から視野障害を患い、
健康面で自信を失っていた
当時の言葉が記憶にあったので、
今回は我が家で保管していた熟成味噌を届けることにした
昨年3月に仕込んだ味噌は、
今年も美味しく完成
早速親友宅に届けに行った
親友宅の白樺も寒そうに佇んでいる
春はまだ先・・・
味噌を届けると、
貴女のお味噌で作ったお味噌汁があるだけで、
毎日のごはんがとても楽しみなの
と言って笑顔で受け取ってくれた
私の味噌を楽しみにしてくれる親友
その言葉にこちらも励まされる
昨日「夫は神様から私へのプレゼント」と言う友人の言葉に、
こんなプレゼントなら要らないわ
と答えた私
しかし、今日は一日、その自分の言葉に向き合い過ごした
夫に幸せを与えられることのみを求めているうちは、
私は一生幸せを感じられないのでは無いか
反対に「私は夫に何を与えることができるか」と考える
ここに幸せのヒントが隠れていると感じる
うつ状態になり無反応な夫を前に、
与えられることばかり求めると、
無視されることが苦しくなり、
夫のために食事を作ることさえ嫌になる
報われない気持ちになり、
夫の存在を忘れたくなる
煩わしい存在となって、
結婚したことまでも悔いる
無視される自分がとても不幸に思えて、
とても悲しくつまらない人生を生きているような気持ちになると言ったふうに、
次々と不満で心がいっぱいになる
だが、
夫も好きでうつ状態になっているのではない
これは彼が昔から抱えている弱さだ
その弱さを排除しようと思うことに、
己のニンゲンとしての浅さを見る
そんな夫に私は何を与えることができるだろうか
今思いつくのは、一杯の味噌汁
だが夫も親友同様
「この味噌汁さえあればおかずは要らない」と言ったこともある
それでいいのではないか
この私が作った味噌を、
身近な二人が楽しみにしているのだ
このことに私自身が感謝する者となりたい
己の発した言葉がそのまま心に返ってきたことで、
自分というものを省みた
人として深い思いやりのある人間になりたい
その祈りが聞かれるために、
弱さを抱えた夫と暮らしているのでは無いだろうか
今日の夕ごはん
紅鮭
切り干し大根の炒め煮
長芋ともずくの黒酢
豆腐と揚げとほうれん草の味噌汁