昨日の夕ごはん
イワシの蒲焼き、ひじきの炒り煮、モロッコいんげんのサラダ、
大根人参しめじの味噌汁、九穀米入りご飯、みかん
今年始めて我が家の庭で収穫したモロッコいんげん
柔らかくてとても美味しかった
昨年、畑に米ぬかを投入するタイミングを逃したので、
今年はいかにも肥料不足といった出来であったが、
こうして少しでも収穫できて嬉しい
連休の夜、夫と過ごした夜
昨夜、夫の部屋から素晴らしい音楽が聴こえてきたので、
思わず部屋にお邪魔した
You Tubeの音楽をステレオで鳴らしていたが、
You Tubeとは思えぬ素晴らしい音
録音技術が素晴らしいとこうして再生してもCDと変わらぬ感動を受けることに驚いた
まるで目の前で生の演奏を聴いているかのような臨場感であった
コンサートに行けなくても、
オーディオコンサートが楽しめる
マンション住まいだと大音響で聴けないが、
家だと誰にも気兼ねなく音楽が聴ける
コロナで外出できないので、お家で充実した時間を過ごしたい
お互いに気持ちに余裕がないと一緒に音楽を聴こうという気持ちにならない
昨夜は短い時間だったが、
一緒に時間を過ごすことができて良かった
二人の友人の共通の悩み
今日は友人AさんとBさんに個別に会った
二人とも未亡人となり一人暮らしをしているお母様のことで悩んでいた
Aさんのお母様は80代前半
現在入院中
入院している間に車椅子生活になってしまった
退院してから今までのように一人暮らしが出来るのか不安
Aさんはお母様が入院するまでの間10日間お母様の住まいで介護したが、
突然始まった介護で心身が疲れ果ててしまった様子
海外に住んでいるきょうだいに帰国してもらい、
介護を一旦交代してもらうという
Aさんはお母様をとても慕っているので、
お母様の変化がとてもショックのようだった
今までは仕事も減らしてもらいなんとか対応していたけれど、
これからどんな生活になるのか全く想像がつかず、
不安な様子だった
Bさんのお母様は90代前半
やはり一人暮らし
Bさんももうひとりのきょうだいと交代で母親の生活の見守りをしている
Bさんの場合はご主人のお母様も90代後半で施設で生活しているので、
夫婦でそれぞれの親を担当
お互いの親のことはノータッチ
Bさんはお母様のことを心配しすぎて自身の体調を崩してしまってから、
毎日お母様にかける電話に出ないことがあっても、
すぐにかけつけることはせず、
次に電話をする時まで、お母様のことを神に委ねることにしたとのこと
これから先このような状態が何年続くかわからないだけに、
自分自身の心身の状態もよく考えねば、共倒れになってしまうとの判断
私自身の親の介護のことを思い出した
介護は突然始まる
親に必要なサポートを受けることができるよう、いちから調べ、
手続きをするのが第一段階
すると次はそのサービスを親が受け入れ、新たな環境に慣れるまで、
親子ともにチャレンジが始まる
慣れた頃に親で転倒するなどして、また環境が変わる
この頃になるときょうだいがいると、そこでの葛藤も始まる
私が一番辛かったのはこの頃だった
一人暮らしは無理となると施設に入るか家族が看るのかといったシビアな話しになる
施設選びは子ども同士の思惑が働く
その頃には親は自分の今後のことについて、
すべて子ども任せになる
この頃になると親のいのちが子どもの手に委ねられるので、
ひとつひとつの決定にとても責任を感じ、
親の言動にも振り回される
親の最期、看取った瞬間から今度は葬儀のことを考える
初七日を終えたら、今度は遺産相続の手続き
ここでうちはひとりのきょうだいが弁護士を入れて争ったので、
解決まで時間がかかった
親の死の悲しさときょうだいのカネに対する欲を目の当たりにして、
とても辛い日々が続いた
私のように親の死後、財産でもめる家は大変だと思う
私は他のきょうだいと争わないと決め、
父の後継者に従ったので精神を病むことなく乗り切ったが、
醜い血肉の争いはまっぴら
私はカネより自身の健康を選んだ
AさんもBさんも親の財産で争いになることはないと思うが、
きょうだいの心の醜さを目にして、
そのきょうだいと今は絶縁関係になっていることが残念だ
年をとっても仲の良いきょうだいを見るとほんとうに羨ましいが、
私にはそういうきょうだいはいないので、
せめて夫とは生涯仲良く過ごしたいと願う
連休も終わるが、夫と穏やかな時間を過ごせて良かった
庭の花を集めて生けてもらった
ご近所から種が飛んで育った紫のカンパニュラが可愛い