昨日の夕ごはん
鶏ももの照り焼き、揚げ豆腐と野菜の煮浸し、スモークサーモンのマリネ、
キャベツと玉ねぎの味噌汁、玄米入りご飯
照り焼きを焼いていて、
毎日のように愛用しているロッジのスキレットを焦がしてしまった(・・;)
我が家のスキレット
オーブンに入るのでこんなケーキも焼ける
今回は、焦がしたスキレットに底が隠れるほどの水と重曹大さじ半分を入れて80度くらいまで温め、
ぬるくなったところでヘラでこすったらするりと取れた
テフロン加工のフライパンはこんな荒業は使えないが、
スキレットは鉄なので大丈夫
重曹も常備しておくと、クレンザー代わりに掃除にも使えるし、とても便利
夫のひと言であの時の辛い記憶が甦った
昨日の朝食時、
夫と話しているなかで、
私が遠い昔に私が経験した忘れられない一日の話しになった
あれはもう30年以上も前の落ち葉舞う季節だった
夫はそれまで私の両親と同居して、父の事業の後継者として働いていたが、
私の両親と仕事のどちらも性分に会わず、
後継者として立場を辞し、実家を出ると決めた
その日は、夫が午後から一人実家を出る日だった
私と一歳になった息子は実家に残り、
夫が新たな地で生活の基盤がしっかりとした時に、
将来を考えることになっていた
ところが、その日の朝早く、
突然、地元に嫁いでいた姉がエプロン姿で実家に来た
姉は恐ろしい形相で私に向かい
「あなたも一緒に出ていって頂戴!あとは私が継ぎますから!」と睨みつけた
側にいた両親は終始無言
その時、私は両親に見捨てられたと感じた
結果私は急遽身の回りの物だけ車に積み、
自分の仕事も姉に譲り、夜逃げするかのように故郷を後にした
夫はその時の話しを聞きながら、
「どうしてあの時、お雪ちゃんは姉さんに何も言い返さなかったの?」と、
不意に聞いてきた
言い返す?
そもそも、ことの発端は、
夫が実家の跡取りを辞めて、家を出ると言ったから、、、
夫を跡取りとして連れてきた私が、
新たに後を継ぐという姉に言い返せるわけがないだろう
当時のことを思い出し、あれから30数年経ったというのに、
朝から自分の人生が呪われたもののように感じられ悲しくなった
私は時として「夫と結婚しなければ良かった」という思いに捉われるが、
それはあの時、自分の運命がコインをひっくり返したように一瞬にして変わったことに対する、
恨みがましい気持ちを抱えているからだと思う
忘れよう、忘れようと思うが、当時の話しになると怒りのスイッチが入り、
被害者意識にさいなまれ、
負のエネルギーに支配され、理不尽な思いに苛立ってくる
それが、
昼になってラジオのニュースを聞きながら一人ご飯を食べている時だった
息子の行った公立高校の入試が行われたニュースが流れた
ふと息子は滑り止めに私立の学校を受けたのか記憶を辿ったが、
まったく思い出せない
そこで、押入れに仕舞ってある当時の家計簿を開いてみた
すると、息子が本命の高校の他私立を二校も受けていたことが判明
ついでにその年の家計簿を丹念に見かえした
その年は、私達家族は東京からこちらへ戻り、
家族三人が新たな生活を歩みだした節目の年だった
収入の欄を見ると、
私の両親からたくさん祝い金を受け取っている
その後も折りにつけ、
両親が家を出た私たちを経済的に支えたことが数字となって現れていた
両親は親の期待に添えなかった私たちを、
見捨てるどころか生活が安定するまで支えてくれた
そして夫は、
あの日以来、雨の日も風の日も働き続けて息子と私の生活を守ってくれた
親しかった友人らも息子の進学を祝い、
共に祝ってくれた
その友情は今も私の心の支えだ
家計簿をめくりながら、
涙がはらはらと落ちて、家計簿のページを濡らしていった
確かに私の歩んだ人生は、
夫と共に実家を出たことによって仕事も失い、
結婚当初思い描いた人生とは違い、
一時は経済的に非常に厳しい局面を迎えた時もあったが、
今回は息子の高校の入試のニュースをきっかけに、
家計簿を見返し、自分が受けた恵みに感謝する時となった
毎日暖かい部屋で過ごし、三度のご飯が食べられ、
健康が守られている
今与えられている恵みの大きさを忘れることこそ哀しいこと
怒りは人を惨めにする
あのことこのことも全て私に必要な出来事だった
人生の終わりに、そう感謝できる人生を送りたい
家の前の大きな雪山が今日の陽気でどんどん融けた
私の心の底の暗闇にもいつか光が当てられて、
温かい心に満たされ続けたいと願った