昨日の夕ごはん
イワシの照り焼き、かぼちゃの甘煮、マカロニサラダ、
厚揚げと小松菜の生姜炒め、大根と海藻の味噌汁、麦入りご飯
誕生日メニュー(笑)
うなぎの蒲焼きならぬイワシの照り焼き
今週は夫が連日車を使うので買い物に行けないと思い、
三連休の最中スーパーに行った
いつもより混んでいたので、大急ぎで必要なものだけ見繕ってレジへ
素材は質素だが、イワシもかぼちゃもとても美味しく満足
昨日の昼ごはん
マルナカうどんを茹でて「きつねうどん」
長芋が微妙に余っていたのでとろろにしてかけた
私はうどんが大好き
子供時代はうどんより蕎麦を好んでいたのに、
いつから変化したのかと考えた
20代の頃、林芙美子の「放浪記」を読んだ
主人公が実家へ帰ると貧しい両親が粗末な家でうどんをすすっていたという行を読んで、
うどんは貧しい者にとって、
生きる糧というイメージとなったように思う
貧しい両親はうどんをすすり、苦しい生活に耐えている
以来うどんは私にとって生きる力を与える特別な食べ物となった
「放浪記」の両親はかけうどんだったかもしれない
昨日のうどんは揚げあり、とろろ、玉子、ほうれん草、しめじと具が豊富だった
なのでこんなうどんでも私は、誕生日の特別なうどんとして食した
誕生日ケーキはいただき物の菓子があったので作らなかった
頂いたのは、
パイをチョコクリームで何層にも重ねて焼いた菓子と、、、
「ぶどう餅」
求肥の上に生のマスカットが乗っている
どちらもこんな美味しい菓子があるのかと思うほど美味しかった
60歳の誕生日、夫の変化!
例年、私の誕生日の夫は、
朝起きて「あ、誕生日おめでとう」と言うほかは、
いつもと何ら変わりなく過ごす
こちらは誕生日なんだから、、、と夫にいつもと違うサービスを求めるが、
花を買ってくるでもなく、
せいぜい食後の茶碗を洗うくらいで終わり、
誕生日、夫に何かを期待することはやめようと思うようになった
ところが、昨日はいつもと全く違った
朝から私のためにホームベーカリーを置く台作りに着手
次は、押入れの棚の段を一段増やしてくれた
午後からは、猫の保護団体に猫のエサや猫砂などを届けるために、
車を運転して付きあってくれた
夫の変化に戸惑った
これは17年生活を共にした飼い猫が亡くなり、
私が深い哀しみの中にいる、と感じてのことかもしれないが、
私はほんとうに嬉しかった
夫と結婚して35年
彼は親戚いわく、「ななめに生きている」人なので、
経済的な面でもとても苦労をした
なぜこんなへそ曲がりの人と結婚したんだろうと後悔したことは数え切れず
とても質素な人なので、
誕生日や結婚記念日だからといって、
どこかに食べに連れて行ってくれたこともないし、
ましてや花束など受け取ったこともない
でもそれは彼がケチなのではなく、
そういう環境に育ったからだと理解したのは、
結婚してだいぶ経った時のことであった
そして、彼は貧しいことを決して恥ていない
まして魂を売ってまでカネを得ようなどとは考えもしない
私も長い期間健康を害していたので、
一時はどうなるのかというギリギリの生活もした
だかそのおかげで、今こうして住む家も与えられ、
健康も守られて生活していることの恵みの大きさに気づき、
感謝できるようになった
夫の変化を思うと、
彼もなにか気づくことがあったのだろうと思う
ともかく、老年となったのだから、
2人協力しあって穏やかな気持で生活したいと願う
猫は天国へと旅立った
もう互いを温めてくれる存在はいなくなった
いよいよ夫と私二人きり、、、
穏やかな気持で日々過ごすことができるよう、
なお一層、思いやりの心を持って過ごしていきたい