昨日の夕ごはん
具だくさん中華麺
昨日は昼食が遅くなったので、お腹が空かず結局中華そばにした
揖保乃糸の中華麺という乾麺を使用
スープはシャンタン
あっさりとして美味しかった
1月18日 死を願う子
1月18日
過去、現在とこの日は特別な日となった
数年前のこの日、息子の大学時代の同級生が亡くなった
将来を期待されていた医師だった
死因は自死
その知らせに言葉を失った
親御さんは地方の開業医師
今日という日をどんな気持ちで迎えているかと思う
そして、今日は先週自殺をしようとした娘さんの手術がある
それぞれの親御さんの気持ちを思う
その時から時間が止まっているのではないだろうか
生きたいと願いながらも命を奪われる人がいる中で、
自ら死を願い亡くなる人もいる
二人とも学業も優秀で真面目な子だった
それだけに親御さんの期待も大きかったと思う
年を重ねると様々なしがらみから解放され、
心が軽くなっていく
生きていく中で「諦める」ことを学ぶ
それが自分自身の心の重荷を下ろすきっかけになる
「期待」し「期待」されることが、
互いの心に余裕をなくし、
苦しみへと変わる
今朝、にほんブログ村の80代カテゴリーのブログをいくつか拝見した
穏やかな日々
身体の不調も記してあるけれど、
日々の小さな出来事を感謝をもって綴っている
息子たちの世代はほとんどが核家族で過ごしたと思う
果たしてそれが良かったのかどうか
今の世の中、人の一生の流れが見えなくなっていると感じる
若い人が死を願う姿を見ると、
私たちの世代が生きている姿を見て失望したのかと考える
今日手術を受ける子は、身体に障害が残るかもしれない
痛みの中で彼女はまだ死を願っているだろうか
意識を回復した彼女に「生きる意味」を示すことが出来る大人はいるか
自分を理解するものは誰もいないと思うこと
なんと哀しいことだろう、、、
どうか心の目が開かれて、
彼女を心配している大人が周りにたくさんいることを知って欲しい
一度閉じてしまった彼女の心の扉を開けるのは非常な困難を伴うだろう
私たち大人は忍耐を持って彼女と共に生きねばならない
その時、私たち自身も生きることの意味に真剣に向き合う時となるだろう
今日は彼女の手術が無事終わることを祈って過ごす