昨日の夕ごはん
簡単ビーフストロガノフ、トマトとコールスローのサラダ
日曜日の夜は簡単メニューで済ませた
息子との経済格差に向き合う
昨日、息子の休暇での写真や動画を見て、
私が卑屈な思いに囚われたことを記した
今が一番充実している30代前半の息子世代と、
間もなく年金生活となる私たち親世代
これから益々経済格差が広がっていく
ついこの間まで、息子の教育費や住宅ローンなどに追われ、
生活に余裕のないままこの年を迎えた
この間夫は職を何度か変わりはしたが、誠実に夫や父親としての責任を果たしてきた
私は大きな病気を何度も経験し、収入を得ることが難しかったが、
数年前からはパートで収入を得ている
人生を振り返っても、できるところで精一杯働いてきたと思う
医療従事者である息子夫婦とは大きな収入格差があるが、
それは数字の違いだけのことで、
息子と比べて収入が少ないことは恥ずべきことではない
夫はライオンが成長した子を遠ざけ追いやるように、
成長した息子の生活には一切干渉しない
しかし、私は息子に対して時に釈然としない思いを抱く
コロナ禍とはいえ、
満足に会うこともできない状態に対する苛立ちもあるとは思う
息子が大学卒業後、すぐに最初のお嫁さんと入籍した時、
息子の成長を共に見守ってくれた親友が言った
「苦労して育てたのに、
こう言ってはなんだけど、
とんびに油揚げをさらわれたみたいね」
なんてことを言うんだ、息子は油揚げか、、と思ったけれど、
確かにこれから医者になって、
親孝行してもらえると思っていたら、
その日のうちに身体ひとつで家を出ていったので、
親友の言う通りとも思えた
やはり私は、
苦労して息子を育てたことに対する見返りを求めていたのかもしれない
本当に、自分をなんと浅ましいものよ、、と恥ずかく思うと同時に、
一方では、息子が後ろ足で砂をかけて出ていったようにも思われ、
虚しさも覚えた
その後息子は離婚し、
ほどなくして二度目の結婚をし、
今は妻や子と幸せに暮らしている
息子も仕事に夢中で親のことなど考える暇もないようだ
余程生活に困っている親ならともかく、
まだ働いている親なのだから、
息子も安心して生活しているのだろうと思う
息子も幸せに暮らしているし、
私たちも働く場が与えられている
それなのに、それ以上私は何を期待しているのか
私の心を見つめると己の欲深い姿が見え、惨めな気分になってくる
息子と言えども別の世帯
息子の生活と比較することなく、
今与えられている生活に感謝したい
今の私にとって、
コロナ禍で会えないことはむしろ幸いなのかもしれない
結局これは私の器の問題だ
私が息子の生活を受け入れる器でない限り、
息子家族とはある程度の距離を持って生活する
これが、互いにとっても幸いな関係なのだろう
私もいつか夫のように広い心で息子を見守る母親になりたいと祈る