今日の夕ごはん
紅鮭、かぼちゃとひじきの煮物、春雨の中華サラダ、白菜と揚げの味噌汁、
たまごとほうれん草のおじや
残ったご飯で無水鍋を使っておじやを作ってみたら、
今まで作った中で一番美味しく出来た(・∀・)
自分の心の奥深くにある棘をみた
昨日の夫の誕生日
一度も夫と共に食事をしなかった
とうとう「おめでとう」も言わず
夕ごはんの時、夫が出先で車に傷をつけられた件の電話があったので、
それだけ伝えたが、
夫は神妙な顔つきだった
私が話したことで落ち込んでいるように感じた
その顔をみたら、
なんだか自分がひどく意地悪なことをしているようで、
心が痛んだ
夫は薄暗いリビングでどんな気持ちで100円の焼き魚を食べているんだろう
いや、自業自得だ・・・などと哀れんだりもした
今朝、夫に会うといつものように「おはよう」と声をかけてきた
今日もとても良い天気
夫の表情から、彼が私の放った言葉を重く受け止めているように感じた
私はその様子を見て、
私の気持ちに向き合っていることに安堵しながら、
それに対してどう接したら良いのか葛藤した
出勤直前、夫は思い出したようにバッグから冊子を取り出し、
自分が学生時代に住んでいた寮の機関紙が来たと置いて出かけた
手に取って、80代と思しき男性のエッセイが寄稿されていたのを読んだ
男性は元大学名誉教授
退職後東北の片田舎に住んでいたが、
病気治療のために、
娘家族の住む関西の都市部へ転居する決心をした心情を綴っていた
東北の都市部への転居も視野に入れたが、
年老いて遠く離れた地で暮らす決心をしたのは、
病弱だった自分をずっと陰で支えてくれた妻が、
帰省した娘家族と過ごしている時の表情を見て、
「人生の終わりに、
妻のために自分ができることはなにか」
と考えてのこと
エッセイの最後にご夫妻の写真が添えられていて、
ほのぼのとした気持ちで読み終えたのだが、
そのページの最後に、
その男性がこのエッセイを寄稿した数カ月後に、
体調を崩して亡くなったことが記されていた
今頃、関西で新たな生活を初めていらっしゃるかと思った瞬間
もうこの世にいないことを知った
男性のこのエッセイは読者に対する遺書となった
これを読んで、
私は頭から冷水を被ったような気持ちになった
この男性の妻は男性が大病を患った時、
「私が側にいるから安心して」と励ましたそうだ
そういう妻と新たな地で生きていこうと決心して間もなく、
彼の人生は終わった
彼のエッセイとその後の彼の死を報告した文が、
セットになって公開されたことの意味を考え、
私自身の心情とリンクした
今八方塞がりに見えるような私に、
このご夫妻の互いに仕え合う姿がまぶしく見えた
このエッセイは残された時間を生きる、
男性の妻の心の支えとなるだろう
私は夫がいのちの際にいる時、
「私が側にいるから安心して」と言えるだろうか
もしかしたら、
「早く逝って」と思うかもしれない・・・
今回の苦しい時間の中でそんな恐ろしいことも考えた
そしてまた私は男性のように、
相手のために自分の残りの人生を選択できるだろうか
結婚の時、私の生き方を貫いた私に・・・
このご夫妻の写真を見ながら、
私は夫ではなく、「私の心の中にある棘」こそが私の苦しみなのだと感じた
今夜帰宅した夫に対して、
私は自分の棘に打ち勝つことができるだろうか・・・
帰宅したらまずは「お誕生日おめでとう」と言いたい
誰もいない公園で
散り際の桜の姿を入れた