今日の夕ごはん
あんかけ焼きそば、ぬか漬け、かぼちゃの味噌汁
凄惨な現場を生き抜いた女性と再会して
今日亡き母と同年代の女性S子さんと一年八ヶ月ぶりに再会した
S子さんは高齢者施設に入居していたが
コロナ禍で面会や外出が制限され、
施設を訪問しても会うことかなわず・・・
この間、電話や手紙で近況をやり取りしていたのが、
やっと外出許可が出て、
今日息子さん夫婦の付添を受けて会うことができた
会って驚いたのは、
杖をついて歩いているとはいえ、
記憶も鮮明
耳も聞こえるし、滑舌もまったく問題ない
息子さん家族にも面会出来ず、
食事の時も自室で摂っていたと聞いて、
そのような過酷な環境でも守られて過ごしたことに感謝した
お話を伺うと、施設の職員さんとはよくお話していた様子
しかし、それだけとは思えない
察するに、様々な事象に対しての好奇心が旺盛なことが、
大きく影響していると見受けられた
S子さんは南方の国で敗戦を迎えた
現地で両親やきょうだいを目の前で敵の兵士に殺害され、
命からがら戦後日本に戻ってきた
戦争を知らない私たちが想像もできない道を通ってきたのだろう
コロナ禍になって家族に会えないということも、
ひたすら忍耐し、この日を迎えることができたのではないかと感じた
今日S子さんとお話をしながら、
私はしみじみと、
過酷な経験は時に非常な苦しみを伴うけれど、
それを乗り越えた人には計り知れない大きな力が与えられると思わされた
S子さんは久しぶりの外出で、
今日は20分ほどしかお話できなかったので、
お別れする時、とても名残惜しかった
S子さんと話していると
母と話しているような気がして、
昔の話しをたくさん聞きたい衝動にかられた
今回S子さんに付き添っていた息子さんは、
精神科医だということを知った
長く大学で教えているとのこと
そんな頼もしい息子さんに支えられ、
S子さんはどんなに心強いことだろう
S子さんは戦後南方から引き揚げた
当時、まだ10代だったので、親戚の家に身を寄せた
食料難もあり、生活の苦労も味わったというが、
身を寄せた親戚はS子さんを支え助けてくれたという
このような大人の力を得たこともS子さんに幸いした
その後、ご主人と知り合い結婚
なにもないところから二人で家庭を築き上げた
二人の男の子にも恵まれ、立派に育て上げられた
今ではひ孫が4人もいるという
小説にでもなりそうな数奇な運命を生きてこられたS子さんの話しを聞いて、
今の私の悩みなど取るに足りないものと思えた
今日は私と一緒に70代後半のご夫妻もいたが、
S子さんはそのご夫妻と別れてから、
「随分お若い方々ね」と私に言った
S子さんにとって70代の方はまだまだ十分に若いと感じることが、
とても新鮮だった
そうとなると、60代の私なんぞもっと若造ということになるし、
30代となると赤ちゃんのようにしか見えていないかもしれない(*^^*)
矍鑠としている90代の方の前で、
私もしゃきっとしていなければと襟を正した
なんともありがたいことである
自分より年長の方が淡々と生きている様子を見ると、
それだけで励まされる
今日はお別れする時、
「いつまでもS子さんの背中を見て歩きたいので、
どうか長生きしてください」と手を握りお別れした
人と会うと元気をもらう
コロナ禍で人と会うことも自粛を強いられてきたが、
様々な年代の人と会うことで、
刺激をもらい気力をいただくことを再認識した
人と会わないと傷つけられることもないし、
気楽に生活できる
けれども、なにか自分の内面が淀んでくるような感覚を覚える
なので、傷つくことを恐れないで、
人の中に入っていくことが私には必要だと感じた
今日は本当にS子さんと会えて嬉しかった☆彡