昨日の夕ごはん
糠ニシンの焼き魚、ほうれん草のお浸し、茄子の油焼き、豆腐とわかめの味噌汁、
イカめし
昨日は夫の休日だったので、夫に初めて夕ごはんを作ってもらった
と言っても、魚と茄子を焼いて茹でてあったほうれん草を盛り付け、
大根おろしを作り、ほんだしで味噌汁を作るという至って簡単な夕ごはん
最後に市販のイカめしをボイルしておしまい
それでも小一時間台所に立っていただろうか
私は口だけ支持して居間で読書
煮物があったら良かったが、それでも作ってもらい至福の時であった
死ぬより辛い人生を生きる
夫が夕ごはんの支度をしている間に何を読んでいたかというと、
1996年に出版された「家の履歴書」
かのヒトはどんなイエに住んできたか
文芸春秋刊である
目的は高峰秀子さんの住んでいた家を見ることであったが、
この本の中の映画監督、原一男さんのコーナーを読んで、あまりの壮絶な人生に言葉を失った
原さんの母親は生きていくために男を変え、
父親の違うきょうだいを生んでいく
ある日、まだ小学5年になった原さんが、
腹違いで生まれた幼い弟を母親に頼まれ、親戚の家の前に置き去りにする
原さんが大人になってからは、
離婚した前妻と外国人男性との間にてできた子どもを自宅で出産させ、その映画を撮る
原さんと二番目の妻との間の子どもは、
中学生になった時、原さんが叱ったことがきっかけで直後に飛び降り自殺、、、
と言ったように、私にとって衝撃的なことが、
いくつも彼の身の上に起こったことを知った
人と自分の人生を比べても意味がないとはいえ、
夫に夕ごはんを作ってもらっている私が「私、苦労しました」と言っても、
「ふざけるな!」と苦労人から一喝されるだろう
原さんの壮絶な生き方として、その人生を公にして、
仕事を通して自分の弱さに対峙しているところ
そこが、私のような凡人と原さんの違いなんだろう
苦しみを自分以外の人のせいにして、
自己防衛に走る人が多い中で、
己の恥部をさらけ出し、フィルムや文字にして公開
しかも、
顔と名前を出して堂々と表現する彼の生き様に圧倒された
原さんは自分の行動が子ども死に追いやった苦しみ背負い生きている
これ以上の苦しみはあるだろうか
その罪と向き合い、生き続け、おのれの心と向き合っている姿に、
私は静かな感動を覚えた
同じ太陽の下、
様々な人生を歩んでいる人と同じ時を生きていることに励まされる
苦しみに向き合う生き方に私も自分の内面を深く問われた