息子の結婚式に着用する予定の姉の黒留袖を試着するため、
亡き父の所有していたマンションを訪問した
父が亡くなって以来なので実に五年ぶり!
跡取りである姉が相続した時に、
私たちきょうだいが持っていた部屋の鍵はすべて姉に返却
その日を境に一度も訪ねることもなかった
玄関ドアを入るとそこにまるで父が生活しているような錯覚に囚われた
部屋の家具もカーテンもすべてそのまま
懐かしさで胸がいっぱいに、、、
姉の黒留袖の値段を聞いて、シミでも付けたら、、、と借用を辞退すると言ったが、
姉はせっかくなので着なさいと譲らない
使用後黒留袖と長襦袢は専門のクリーニング店に出す、という条件で、
小物も一式借りることになった
その代わり姉はというと、私の所有する黒のドレスを着ることになった
姉と私は身長が一センチしか違わずほぼ同サイズ
お互いに衣装を買わなくて良かったねと喜んだ
ファッションショーが終わり、姉と二人お茶タイムとなった
奇しくも今日は亡き母の誕生日
生きていれば92歳
この日に五年ぶりに両親が使っていたマンションを訪問し、
互いの服を着たり、話しをするとは、、、、
母が私たち姉妹の心のわだかまりを解いてくれたようで不思議な気持ちになった
それは、姉も同じだったようで、
何度も「今日あなたとこうして過ごすなんてね」としみじみと語っていた
私と姉とは思春期から別々に暮らしていたこともあって、
十代の頃から仲が悪かった
私が結婚して家を継いだのに、事情があって家を出ることになり、
嫁いた姉が親と同居することになった時、
姉と私の間に更に大きな亀裂が入り、以後四半世紀、
冠婚葬祭でしか顔を合わせなくなった
それが、母が事故で亡くなったのをさかいに、
都会で生活したい父は、
地方にある姉夫婦と住む家には戻らなくなってしまい、
姉は父の生活の管理を私を頼らざるを得なくなり、
姉と父に関して連絡を取り合うようになった
父なき後は墓参り以外会うこともなく五年が過ぎたが、
今年になって互いに孫が生まれてから祝のやり取りで連絡を取り合う機会が増え、
互いの息子の結婚式のやり取りで次第に距離が縮まった
そして迎えた今日が偶然にも母の誕生日だったというわけである
姉が昼食も一緒に食べようと言うので、
母が大好きだった蕎麦屋に向かった
案内された席は私と母がよく案内された二人席であった
いつも母が座っていた席に姉が座っている
母が亡くなってちょうど10年
父が亡くなってからは五年
その月日が流れてやっと、そう、やっと私は姉と姉妹らしい関係になった
向かいに座る姉はもう還暦も過ぎ、私も名実ともにおばあさんとなって、
私たちが両親から受けた傷が癒えようとしている
まだここでうまく言い表すことが出来ないけれど、
両親は私たち姉妹を互いに競わせることでコントロールしていたようだ
両親が私に姉の悪口を言っていたように、
姉にも私の悪口を言っていたと知ったときの驚き
だからと言って今は亡き両親を責める気持ちにもならない
ニンゲンとはそのように罪深いものだと思うから
しかし、今こうして過去のことを穏やかに話すことができるようになって良かったと思う
あのまま一生姉を憎み続けることは、自らをも惨めにさせる
両親には人として弱いところもあったが、
私たち姉妹を何不自由なく育ててくれたことには感謝している
姉と私、これから何年こうして会えるかわからないが、
残された時間で人並みの関係を築きたい
母が好きだった蕎麦が運ばれてきた
「美味しいね」と何度も言って完食
母の誕生日、姉と和解できたことが嬉しかった
蕎麦屋の店内
飾っていたウサギの置物を見て、ここでもうさぎ年生まれの母を感じた
今日はほんとうに不思議な一日だった
今日の聖書通読箇所
ヨハネの黙示録 1章
今年から新約聖書を最初から一日一章読んでいます
コメント
こんばんは♪
お姉様との和解、よかったですね。
私は兄弟がいないのでわかりませんが、父も母も兄弟が多く、今のところ元気でいてくれてありがたいですが、二人が元気なのは兄弟がいるからなのかなー?などと考えたりもします。
50過ぎて思う幸せってもちろん金銭的なことや健康もとても大切ですが、身近な人たちと仲睦まじく暮らせることなんじゃないかなー?と思ったりします。
今までの分を取り返すくらい仲良くなるんじゃないかなー?と思います。
kaorinさま
ありがとうございます
karinさまはブログで長いお付き合いなので、私と姉との葛藤もよくご存知
私もよくここまで回復できたと思っています
姉との信頼関係を取り戻すにはまだまだ時間が必要ですが、
とりあえず一歩を踏み出すことが出来たように思います
姉とはゆっくり時間をかけて関係を修復したいです
温かいコメントをありがとうございました