今日の夕ごはん
焼き鮭、卵豆腐、切り干し大根の煮物、
玉ねぎとしめじと揚げの味噌汁、ミルクゼリーとラズベリソース
今日も私の好きな紅鮭
秘められた過去、叔母の幸せを奪った女性が亡くなり・・・
先日、実家の姉から従兄弟が家を新築したと知らせが来た
従兄弟の父方の叔母が亡くなり、相続したお金で建てたという
それを聞いて、私の母の妹である叔母の長年の苦労が少しだけ報われた気持ちがした
叔母は、とても美人でミス○○にもなった
明るい性格で町の人気者であったらしい
そんな叔母の元に願ってもない縁談が持ち込まれた
相手は都会の一等地で老舗の和菓子店を経営していたA氏
A氏はいかにもお坊ちゃまといった感じだったが、
顔立ちもなかなかの美男子で、叔母はすぐにこの縁談を受け入れた
店舗と続いている住まいで新生活を始めた
婚家は格式高い家だったので、しきたりを覚えるのに苦労したという
叔母は店舗の手伝いや家事を担っていた
子も次々と三人の男児に恵まれた
その頃、先に嫁いで家を出ていたA氏の姉が離婚して出戻ってきた
それをきっかけに急に叔母の待遇が一変
義姉が叔母にことごとく意見をしてきた
終いには世帯じみた様子が、「店の品格を落とす」ということで出入り禁止になった
家のことでもなにかと辛くあたり、
叔母は一緒に生活することが難しくなり、A氏に「一緒に引っ越そう」と相談すると、
彼は「家は用意するから、キミだけ先に家を出てくれ」と言った
A氏が新たな住まいとして借りた家は、
本宅から遠く離れた新興住宅地だった
叔母はA氏の言葉を信じて引っ越したが、
A氏は仕事が忙しいと称して全く帰って来なかった
それが何年も続いた時、A氏から離婚を切り出された
叔母は激しく抵抗し、裁判で争うこととなった
叔母は離婚することを拒否したので裁判は長くかかった
別居して早い時期に、
三人兄弟の長男は跡取りとしてA氏が育て、
次男と三男は叔母が育てることになったようだ
叔母の離婚が成立したのは、子供が義務教育を終えた頃だったと思う
A氏はどんなに慰謝料を払っても離婚したいと願っていたので、
別居してからもそれなりの養育費を受け取っていた叔母は、
自分でも商売をしながら生活を維持していた
夏休みになると叔母は二人の従兄弟を連れて私の町に里帰りしていたが、
叔母は私たち姉妹にも優しく、
叔母がA氏と別居していることが理解できなかった
私が二十歳になった時、叔母から電話がきて、
長らく会うことが叶わなかった長男から連絡がきて、
私の住む都会のマチで会うことになったということで、
叔母から頼まれ私も同行した
従兄弟は私より一歳年長で国立大の4年生だった
従兄弟はA氏に似た顔立ちで下の従兄弟とは全く雰囲気も違った
キザで女の子に慣れている感じがした
従兄弟が行きつけのカラオケスナックに叔母と三人で行くと、
彼はサザンオールスターズの歌を上機嫌で歌った
そして帰りに「今日はこんな楽しい一日を過ごせて最高だった!」と言った
それから、数ヶ月経った時、
叔母からただ事ならぬ声で電話がきた
その従兄弟が自死を遂げたという知らせだった
言葉を失った
その訃報はA氏から来たのではなく、
私達が会ったカラオケのマスターから叔母の元へきたのだった
自分の子供の死さえ伝えられない叔母に深く同情した
それから間もなく、私と叔母はマスターの店を訪ねた
マスターは泣きながら、従兄弟の遺品のいくつかを叔母と私に見せながら、
自殺の状況を話した
叔母はショックが大きくて涙も出ない様子で、
力なく座っていたのが印象に残っている
マスターは「お母さんに会えたことをとても喜んでいた」と何度も言って叔母を慰めた
それから何年か経って、叔母の生活も落ち着いた頃、
母と叔母の話題になった時、私は初めて叔母の離婚原因を聞いた
A氏とA氏の姉は長年、きょうだい以上の関係だったというのだ
そして、従兄弟はそのことを苦にして亡くなったという
なんと酷い話しかとショックを受けた
今から30年ほど前に、A氏は60代で亡くなった
叔母は現在80代後半、認知症となり施設で暮らしている
そして、とうとう叔母の義姉が亡くなり、
叔母の息子たちの元にA氏の姉の遺産が渡った
従兄弟たちの辛苦もこれでやっと報われたのだと思った