今日の夕ごはん
とり手羽元のカレー、ハムサラダ
クックパッドのこちらのレシピで作ってみた
ほろほろでコクがある美味しいカレーになった
生きることの虚しさから逃れるために
親友からご主人が自宅で倒れ、
緊急手術を受けると連絡がきた
現在、手術は終わったが、
予断を許さない状況
若い頃からスポーツマンで、
今年になってコロナに感染したが、
その時も無症状で非常に元気だった
そんなご主人だっただけに、
寝耳に水でいまだに信じられない
2年前の年の暮れに親友は脳梗塞で視野障害を患った
そんな親友を毎日のようにウォーキングに誘ってくれていた女性が、
今月になって目の病気を発症
自由に出歩けなくなった
そして今回のご主人の発症・・・
親友を含め皆70代後半〜80代
私よりも一回り以上年上の方々の様子を聞きながら、
そこに私自身の将来を重ねている
親友は現在同居家族の協力を得て自宅で暮らしている
ご主人が退院しても介護が必要な状態になったら、
親友の生活環境は激変するだろう
もしかしたら、自宅で生活を続けるのは無理になるかもしれない
ニンゲン、日々老いに向かっているのだから、
誰しもいつかは介護が必要な身体になる
しかし、親友の視野障害にしても、ご主人の発症にしても、
それが突然やってきたことがショックだ
いや、うちの夫の顔面神経麻痺もそうだった
朝起きて鏡を見たら、
自分の顔とは思えない顔になっていた
だが今その時のことを思い出そうとしても、
記憶から消えている
衝撃が大き過ぎて、記憶が途切れている感じ
あまりの変わりように私は夫の顔を見ないようにしていたのかもしれない
親友から知らせがきた時、
私は短い言葉でしか返信できなかった
以前、お母様のガンが再発した友人から、
「母の余命が1ヶ月といわれた」と知らせが来たときもそうだった
情けないくらい言葉が出てこない
まさに言葉がない状態になる
外に散歩に出た
歩きながら、親友とご主人のことを考え、祈った
健康だとまるで未来がこのまま順調に続くような錯覚に陥るが、
こうして親しい人たちの不調の知らせを聞くと、
現実に一気に引き戻され動揺する
まるで砂の上を歩いているような感じ
それまで歩んできた足跡が、
波によって一瞬で消える
そんな虚しさを覚える
先日NHKのラジオ深夜便で亡くなった松本零士さんのお父さんの話を聞いた
「私たちは生きるために生まれてきた
だから最期まで一生懸命生きねばならない」
あの大戦を生き抜いたお父さんが、
息子に強く伝えた言葉だ
明日、どんなことが起ころうとも、
今日という日をしっかり生きる
そんなメッセージを感じた
目に見えることだけに囚われていると、虚しい
生きることは最期まで自分の心に向き合い、
希望を持って生きること
それが自分自身を支える力になるのだと、
歩きながら考えた
親友のご主人の回復を祈る