実家の姉から母の妹である叔母の訃報が届いた
私が実家の跡取りの座を姉に譲り、
故郷を出て40年近く
以来、親戚とも顔を合わせる機会が激減
叔母に最後に会ったのは、
私が東京からこちらに戻って間もなくの頃だったと思うので、
かれこれ四半世紀も経過
数年前、姉から叔母の認知症が進み、
施設に入所したと聞いた
亡くなった叔母は、
ミスに選ばれるほど美しく、
見合いで裕福な家に嫁いたが、
子を三人生んで後、
突然夫の家から家風に合わぬと離縁を迫られ、
長く裁判で争った
その家には色々秘密があり、
邪魔になったので追い出されたと母から聞いたことがある
叔母はとても明るい性格で、
手先も器用
小さい時は忙しい私の親に頼まれたのか、
いとこと一緒に海水浴に連れて行ってもらった
三人の子どものうち一人はとても優秀だったが、
大学院の時に自死
叔母と二人で下宿先を訪ねた記憶がある
その子の存在はずっと叔母の痛みとなっていただろう
認知症になったと聞いて、
辛かったその時の記憶が消えれば良いと思った
離婚が成立してからは生活も安定
前向きに友人やご近所と仲良く生きていた
波瀾万丈な人生だったが、
壮絶な人生を感じさせず、
明るい笑顔が印象的な叔母だった
享年93歳
母のきょうだいの中ではダントツの長寿
母のきょうだいで一番先に亡くなったのは、
母の兄
戦争で20代の若さで亡くなった
遺骨もなく、
弾丸で穴が開き血に染められた帽子が、
木箱に入って戻ってきたと聞いている
母のすぐ上の姉は50代で脳卒中で亡くなった
6人きょうだいだが、
寿命はそれぞれ
長く生きた人でも80歳前後で認知の症状が出ているので、
私も将来長生きしたらそうなるのかもしれない
これで母方の叔父叔母は一人もいなくなった
今年になって親戚の訃報が相次いでいる
皆90代以上
施設で生活
次はいよいよその子ども世代
私たちの世代になる
幸いいとこ関係で亡くなったという知らせは無い
私や夫のきょうだいや、その配偶者の訃報がきたら、
いよいよと思うだろう

ナスと豚ひき肉のピリ辛味噌炒め
インゲンと白滝とキノコのきんぴら
やみつききゅうり
大根と長芋とほうれん草の味噌汁
ブログで紹介後、
たくさんの方に購入して頂きました
酷暑のブラはこれ一択
楽で涼しい!イチオシブラです( ◠‿◠ )