今日の夕ごはん
麻婆豆腐丼、ザーサイ、たまごと豆苗の味噌汁、みかん
今日は昼ごはんがとても遅くなったので、
夕ごはんは簡単なメニュー
苦しみを通して得られること
仕事先に息子と同い年の男性とうちのお嫁さんと同い年の奥様、
そしてうちの兄孫と同い年の女の子、弟孫と同い年の女の赤ちゃんがいらした
話を聞くと、
出身大学は違うけれど、
大学時代に息子のことを知っていたとのこと
息子には2年前に会ったけれど、
お嫁さんや孫には3年以上会っていない
息子一家が来たらこんな感じなんだろう・・・と感慨深く眺めた
帰りに赤ちゃんを抱っこさせてもらった
ズシリと重い
そのご夫妻の両親も遠く離れて暮らしていて、
ご主人の両親も昨年9月に2年半ぶりに再会を果たしたとのこと
やはりうちと同様、コロナ禍で思うように行き来できなかったと伺い、
どんなに会いたかっただろうと自分を重ねて思った
このご夫妻に会う前、
離婚して高校生の息子さんと暮らす女性と短い時間だけれど、
話をする機会が与えられた
勤務先で自分の限界を超えるような仕事を任されていることを話し、
「緊張で眠られず、辛い」と言って涙を拭った
それを聞いた時、
彼女の背中をさすりながら私も泣いた
泣いている人に対して、
自然に身体に触れて慰めることができる人もいるが、
私はそれまで、
相手の身体に触れて慰めることはできなかった
けれども、11月にお母様を亡くして悲しんでいる友人が泣いている時も、
そして今日も自然に私の手が相手に触れた
うまく表現できないけれど、
自分の中で何かが変わったと思う
相手の哀しみを以前より強く感じるようになった
特に今日会った仕事で苦しんでいる女性の言葉は、
まるで私の心のうめきを聞いているようだった
昨日、親友に話そうと思いながら、その機会を逃したことだが、
私も昨年末、仕事で大きなストレスを感じることがあった
自分一人が頑張らねばならない状況
その緊張と孤独感
数日誰とも口を聞きたくない気持ちになり、
人生を呪いたい気持ちになった
そんなどん底の気持ちを味わったからだろうか
彼女の苦しみを自分のことのように感じた
私はこの年になっても、
人の苦しみに鈍感なところがある
多くの場合、大変な時は周りに助けてくれる人が備えられていて、
なんとか乗り越えることができたので、
人生に絶望することがなかった
しかし、今回は短い期間ではあったけれど、
危機を感じることがあり、
その時、せめてこの状況を理解してくれる人がいて、
私のことを祈ってくれたらと思った
今日、涙を流して苦しみを訴えた女性を前に、
私はただ一緒に泣いた
私は彼女の苦しみ全てを理解できないだろう
けれども、
自分が苦しんだことで、
彼女の痛みの一部が伝わるようになったと感じる
悲しいことだが、
痛みは同じような経験をした者でしかわからない
年を取ると涙もろくなると言うけれど、
それはさまざまな経験を重ねることで、
人の苦しみを自分のものとして、
感じることができるようになるからであろうか
孫や子に会えない親の苦しみ、
仕事上のトラブルへの対応
誰にも代わってもらえない責任
ニンゲンに対する不信感・・・
私の周りはそういう苦しみを背負って生きている人がいる
抑えていた悲しみは涙と共に流れ去ったのか、
私の心も日毎に力を取り戻している
今週も、また新たな希望を持って歩んでいきたい