昨日の夕ごはん
麻婆春雨丼、豚汁風鶏汁、りんご
玉ねぎの消費メニューで麻婆春雨に投入
ご飯は半分ロウカット玄米を混ぜて炊いた
食感はやはりボソボソする
これからは1/4玄米にして炊くことにしよう
人生やり直せるとしたらどこに戻りたいか?
十日ほど前に私が所属するブログ村「60代生き方」のお頭さまが、
このようなテーマで記事を書いていらした
時計の針を戻せないことは承知しているが、
もし、、と仮定して見ただけで、その世界に入り込み、
私にとってずっと考えていたいとても魅力あるテーマであった
そこで私はその翌朝、
最も身近にいるニンゲン、すなわち夫にこの質問を投げかけた
この質問をする直前、
私はちょっとした恐れを感じた
もし「お雪との結婚を決める直前に戻る」と言って、
「結婚しないことに決める」とでも言い出したら、
私をそれを笑って受け止めるだけの度量があるだろうか、、、、
もし、真顔でそう告げられたら、
朝から戦争勃発!
お互いにツバを飛ばして罵りあい、
今まで厳格に保っていたソーシャルディスタンスが台無しになってしまう (-_-)
すると、夫は速攻答えた
「高校二年生のときに戻りたいな」
「初恋の女性に会いたいのね」と聞くと、
「違うよ!山岳部にいて、毎日楽しかったから」と言った
そういえば、その昔夫から高校生の時は体力も有り余るほどあって、
とても楽しかったと聞いたことがあった
それと同時に、山と聞いて男性ってロマンチックなんだなと思った
私はどうか
私は小学校に入る前のこども時代に戻りたい
なぜかというと、私のオバアチャンがまだ元気で家にいたからである
今日のようにとても寒い日、
私が外から帰るとオバアチャンは「寒かったろう?」と言って私の手を取り、
自分の両手で包んでそのまま着物の打ち合わせのところへ持っていき、
自分の胸で私の小さな手を温めてくれた
足がしもやけになると、
バケツに熱い湯をはって、
水を足して丁度良い温度にし、
私を椅子に座らせて足湯で温めてくれた
私の母は仕事で忙しくしていたので、
私の面倒は全てオバアチャンがみてくれた
あのオバアチャンにもう一度会いたい
こんなにもお世話になったのに、
私は成長とともにその恩を忘れ、
晩年、入退院を繰り返すようになったオバアチャンが、
「私はもう死ぬ」と何度も嘆くようになると、
その言葉にうんざりし、
「オバアチャンの嘘つき、死ぬ、死ぬって、いつ死ぬの?」と責めた
だから、それから程なくオバアチャンがガンで亡くなった時、
その遺体にすがりつき、
その身体から段々とぬくもりが消えるのを感じながら、
涙をもって、おのれの悪口雑言を詫び続けた
ああ、出来るなら幼かった私に戻り、
またオバアチャンの膝に抱かれ、
最期に「ありがとう、ありがとう」と何度も言って別れたい
あの無償の愛を与えられた記憶が、
私の記憶の原点になっていることは幸いだ
自分が誰かから強烈に愛された記憶はその後の人生を支える
鏡の自分を見る
私も当時のオバアチャンの顔に近づいてきた
息子を育てている時は、
私も自分の生活で精一杯で、息子に十分な愛情をかける余裕はなかった
でも、今なら孫に私の愛情を注ぐ余裕がある
私もオバアチャンに注がれた愛情を孫に注ぎたいが、
残念ながら孫とはいつ会うことができるのか、、、、
たとえコロナが収まっても、遠く離れて暮らしているので、
私のぬくもりを伝えることは難しい
ならばその愛情を、共に暮らす年老いた夫に注ごうか、、、
まだ時間はある
ゆっくり考えることとしよう(笑)
これは清水多嘉示さん(彫刻家)が描いた羽仁もと子さんのスケッチであるが、
私のオバアチャンに雰囲気がとても似ていたので紹介する
(昭和32年婦人之友6月号より)