昨日の夕ごはん
ホタテのフライ、ししゃも、キャベツとかまぼこの煮物、
豆腐とわかめの味噌汁、麦入りご飯
生の美味しそうなホタテを購入したので、フライにした
夫が好きだと言ったキャベツの煮物を作った
この後、夫から酷い言葉を聞くことなど思いもせずに、、、、、
お互いに疲れていた、それがきっかけ
夫は先週金曜日からぎっくり腰の一歩手前状態になった
そんな時、機嫌の良い人などいない
そして、私も二ヶ月にわたる「家を売った友人」の不要品処理の終わりが見えてきたところで、
昨夜は疲れがピークに達していたと思う
ここ数日のブログを読み返してみても、
ちょっとマズイ状態なんじゃないかと感じていた
この二ヶ月間で友人の家から出た不要品を一人で1,000点近く処理したと思う
全くなぜここまでやったのかわからない
ともかく私というニンゲンはやると決めたらとことんやらねば気が済まない
これはもうビョーキだ
昔「赤い靴」の童話を読んだが、
まるであの赤い靴を履いた少女のように、
スイッチが入ると途中で止められなくなる
この現象は八年前にもあった
あの時はパイプオルガンに没頭した
毎日毎日フラフラになるまで一日中練習した
オルガンを始めた動機は、息子が大学卒業と同時に家を出て、
複雑な環境で育った女性と電撃結婚したのがきっかけだった
今回の動機に関しては考えることもなかったが、
昨日はっきりと自覚した
今回も息子に関することである
今年2月になってから、新型コロナの感染が勢いを増し、
コロナ患者を治療している息子や、
初孫に会えない状況となった
最後に彼らに会ってから一年
今年3月に息子一家が当地を訪問する予定であったが、
当地の感染が激しく県をまたぐ移動が自粛となった
その後もこんな状況でなければ、何度か会う機会があったが、
息子夫婦が医療関係者であること、
そして、私たち夫婦も万が一感染したら職場に多大な迷惑をかけてしまうので、
治療法が確立され、事態が収束するまでは会わないと決めた
しかし、娘を持つ私の友人らは皆コロナ禍であっても、
娘が孫を連れて帰省している
私ももし私の子供が息子でなく娘だったら、
来ることを拒まなかったかもしれない
拒んだ理由はやはり孫の問題が大きい
孫はやっと一人で歩けるようになったばかり
マスクも出来ない中、
危険を冒して東京から飛行機で移動することを強いるなど、
私には出来なかった
それに私らが周りから感染する危険もある
とにかく、互いに感染したら大変なことになることを思うと、
そう決断するしかなかったのだが、
友人らが孫と楽しい時間を過ごした話しを聞いているうちに、
私の中にどこにぶつけて良いのかわからぬ怒りが積み重なり、
ぬかるんだ気持ちに支配されるようになった
昨日の夕暮れ時であった
ニュースの報道で、また当地の感染が勢いを増していることを知り、
しばらく便りのない息子家族の体調も心配になったので、
珍しく私のほうから元気にしているかとLINEした
そこへ夫が職場から帰宅
息子からすぐに返事がきたので、それに返答しようとした時、
夫は厳しい表情で「なぜ、こちらからLINEをするのだ」と咎め、
「あなたがLINEするとお嫁さんにプレッシャーをかけるのがわからないのか
こちらから一切連絡をしてはならない」と言い放った
なんという酷い言葉だろう
夫は自分が婿養子という立場だったこともあり、
私と両親が親しくしているのを見て、とても嫌な気持ちになったからだと説明した
しかし、よく考えて見て欲しい
息子夫婦の立場と私たちとは全く違う
お嫁さんの両親は息子の家と行き来できる距離に住んでいて、
いつも孫に会っている
正直言って今の状況は私が息子を婿に出したのと変わらない
私が義母のことを想うのは、
私がかつての義母と同じ立場になったように感じるからである
それが、これからいつ会えるとも知れない息子や孫の様子が知りたくても、
一切連絡をするなとは、、、、
そしてその理由が私が姑という立場であるからとは、、、、
私のことを誰よりもよくわかっていると思っていた夫の口から、
そのような言葉が出たことが情けなく、
涙が止めどなく溢れた
その様子を見て夫は詫たが、私の心に刺さった棘は今もなおうずいている
それからは、気力を振り絞ってご飯を食べ後片付けまではしたが、
もう何もする気がなくなり、
早々に床に伏した
急速に気分がダークになり、生きる希望もなくなり、
布団の中で声を殺して泣いていた
しかし、そのうちブログの冒頭に記したように、
この状況は起こるべくして起こった現象であることに気がついた
今私たちは特殊な状況に置かれている
疲れている
こんな時、投げやりな気分になることが一番愚かで悲しいことである
その時「さて」という言葉が私の心に浮かんだ
夫は問題から気持ちを切り替える時、
「さて」という言葉を口にする
これ以上考えてもどうにもならない時、
さて、とまったく別の方向に心を向ける
昨日は「さて、これからなにか始めることはないか」と考えた
すると、オルガンの曲を初見で弾く練習に励みたいという思いが膨らんだ
うむ、これも生活するのに一文の足しにもならないことだが、
やればやっただけ成果が見込めるので始める甲斐はある
なにかに集中する、
するとその間に問題が問題でなくなる時がある
私は今までそれで苦境を乗り越えてきた
今回も取り組んでみよう
そう思ったら、やっと眠りにつくことが出来た
「さて」と言う言葉も夫から教わった
そう言った夫はとてもしょぼくれて出社した
争いは疲れる
腰痛の夫も「さて」と気持ちを切り替えているだろうか
しばらくはぎくしゃくするだろうが、
時間が解決するだろう