今日会った友人は二人とも息子と娘がいる
その二人が口を揃えて
娘にはなんでも言えるけど、
息子に言うとお嫁さんにも伝わるので、
なかなか思ったままは話せないわよね
と言っていた
それを聞いて私はただ黙ってうんうんと頷いていた
私も娘が欲しかった
今更娘がいたらと思っても、
どうにもなるものではない
そのうちの一人が、
「生きる希望が欲しい」と言っていた
私から見たら彼女は娘も息子もいるし、
家も夫もいて、生活に困窮しているわけでもない
それでも「幸せ」を感じることができない日々を送っている様子
満たされた生活をしているのに、
なぜ幸せと感じることができないのだろう・・・
だが、思い巡らしているうちに、、
私にも同じような思いがあることに気がついた
私の友人で、大腸閉塞を患っているご主人の介護をしている女性がいる
彼女は毎日、ご主人のためにすりつぶした食事を整え、
ご主人が便をするたびに、
ゴム手で便を取り出し、
消化していないものをチェックして、
より負担の少ない食品を考え食事に生かしている
夫の便が出た日は幸せを感じ、
出ない日は不安な日々を過ごすと言っていた
その話を聞きながら、
ご主人に対してそこまで尽くし、
行動できる彼女を心から尊敬した
それと同時に、
そのことを幸せと感じることのできる彼女の心を見て、
幸せはどこにでもある
それを感じることができないのは、
私の心の目が閉ざされているからではないか
なんでも話せる娘がいないから不幸せ
私が愛せるような理想の夫でないから不幸せと、
無い物ねだりをしている間は、
幸せは見えないのだろう
「生きる希望がない」と言った友人は、
私の目にはとても恵まれた人に見える
そして、
この私も本人だけに「幸せ」が見えない状態なのだろう
私は幸せの中に生きている
これからは意識して、
心の曇ったフィルターを外して周りを見直してみよう
息子と孫が来る日が迫ってきたので、
スーパーに寄って孫が喜びそうな食材を買ってきた
小さな孫は私の作った料理を喜んで食べてくれるだろうか
昨年は夫が顔面麻痺で車の運転ができず、
夫の仕事のサポートもしていたので、
孫が来ても疲労困憊
気持ちの余裕がなかった
今年は夫が運転できる
私の負担が軽くなった分、気持ちにゆとりがある
孫に会えると思うと、
今夜は期待と不安で眠られないかもしれない
今日の夕ごはん
豚バラ肉となすの味噌炒め こちらのレシピを参考に作りました
カボチャのサラダ
大根と揚げの味噌汁
暗闇をほのかな光で照らします
災害時にも ( ◠‿◠ )