今日の夕ごはん
ホッケのフライとサツマイモの天ぷらと野菜盛り合わせ、
ほうれん草と厚揚げと舞茸の煮浸し、大根と白菜の味噌汁
昨日買ったホッケをフライにした
父はホッケのフライが好きだった
ホッケのフライを作るたびに、もっと食べさせてあげたかったと思う
経済的に苦しい時を経験して考えが変わった
私の外出着はほぼセレブの友人のお下がり
友人がサイズアウトしたおかげで、
私のクロゼットは彼女のブランド品でいっぱいだ
娘さんがメルカリで販売してくれたりしたのだけれど、
ちょっと難があったりすると、ひどく値を下げねばならないので、
そういうものをただでプレゼントしてくれる
私は多少サイズが合わなくても、自分で手直しして着る
自分で着るのだから、縫い目が揃っていなくても平気だ
今日は新しいパジャマ三枚を手に入れた
友愛セールをしたが、一枚200円でも売れなかったので私が買い取った
上の二枚は中国製ではあるが絹である
下の花柄は手作り品と書いてあったが、
出してみると相当お裁縫が上手な方が作ったような出来だった
素人が作って売っていたかもしれない
このパジャマが私の好みの柄かと言われると、
好きでも嫌いでもない
けれども200円でも売れなかったので、このままだと処分となる
もったいないので処分の前に購入した
私はパジャマを着たらすぐにベッドに入る
なのでこのパジャマの柄を自分自身がまじまじと見ることはない
絹のパジャマを着て寝られるなんて、
なんて贅沢なんだと思う(笑)
三枚パジャマを買ったので、
私のクロゼットのヨレヨレになったパジャマはウエスにして使う
私は40代くらいまでは、
パジャマといえども、好みではないモノは一切着なかった
それが60代になって、というよりも、
やはり一度経済的に非常に困難な時を経験して、
自分の考えが変わった
衣類は着飾るためだけでなく、
寒さから身を守るためにあるのだと実感した
私は食べ物に困っている人や着るものに困っている人に、
必要なものを支援する団体に協力している
それを知っている友人が、
ご主人の着なくなった背広や服を私を通してその団体に寄付してくれた
先日、たまたま私がいる時に、
そこへ70代の男性が大きなスーツケースを引きながらやって来た
真っ黒に日焼けした顔
住む家がない人かと思ったら、
近所にアパートを借りて住んでいるという
とても湿気がひどいので、
物をスーツケースに入れて持ち歩いていると言った
その男性が何か着るものが欲しいと言う
先日、友人からもらった背広を持ってきて差し上げた
ダーバンの背広は彼にピッタリのサイズ
ワイシャツがあれば良かったが、
残念ながらなかったので、
やはり寄付してもらった新品のユニクロの長袖Tシャツを着てもらった
彼はとても温かいと言って喜んで帰って行った
その様子を見ながら、私は自分自身の生活を省みた
私は着るもの食べるものにこんなに感謝しているだろうか
もし、今大きな災害が起きて、
私の持ち物が全てなくなったとしよう
その時、一枚の服にどんなに感謝するだろう
寒さから私を守ってくれる一枚の服に・・・
また、こうも考えた
私の持ち物が全てなくなったら、
私はきっとその無くした持ち物に心が囚われて、
ショックが大きく生きる気力を失くすかもしれない
命が助かったことよりも、
なくした財産に心が囚われる
それも哀しい・・・
そういう意味で、
モノを持つこともわきまえて生活したいと考えた
モノに心を奪われすぎないように、
たとえ無くしても、大切なことに心を集中できるように
そんな時に出会ったこの三枚のパジャマ
これで一年はパジャマを買わなくて済むだろう
一枚一枚に感謝して着ようと思う