昨日の夕ごはん
鶏肉じゃが芋のかんたん酢の炒め煮、高野豆腐の炊き合わせ、
人参きんぴら、大根と舞茸・揚げの味噌汁、九穀米入りご飯
参加カテゴリのブロガー様の記事に登場するかんたん酢を使った惣菜にチャレンジ
薄口醤油を加えて我が家流
さっぱりして美味しかった
これはいろいろな料理に応用出来そう
生協の宅配で頼んだ人参がだぶついたのできんぴらに
大量消費にぴったり
スライサーを買ってから一本カットするのに一分くらい
買って良かった
古い雑誌の記事から現在を考えた
昭和35年の婦人之友3月号を見ていたら、「いずこ」の記事が載っていた
夫も同県の農村出身である
この写真の赤ちゃんを見て夫の幼かった時の姿を重ね合わせた
夫は今でもこの「いずこ」に入れられた時の記憶が残っている
身体を布で身動きが取れないように包まれ、
更に籠の中に入れられて「あれは今なら幼児虐待だ」と言っていた
この記事を執筆した宮古保健所医師(当時)の旗本勢津氏も、
こうして育てられた赤ちゃんは運動機能の遅れがあると指摘していた
赤ちゃんは授乳の時だけ「いずこ」から出される
普段はずっと「いずこ」に入れられたままで、
きょうだいと遊ぶ時も「いずこ」に入ったまま
授乳は一日三回
医師が一日5,6回飲ませるようアドバイスしても、「山に働きに行くので夕方まで帰って来られない
その間はお祖父さんが米の粉を煮て育てる」と言ったとのこと
粉乳を飲ませるよう勧めても「それは高価だから」と受け入れてもらえなかったという
旗本氏は「姑のいうことは絶対的、姑の昔風な育児方を繰り返している」と印象を記していた
他にも医師が赤ちゃんの母に布おむつの使い方を教えている写真があった
「この村では藁をおむつの代用にしている子も多い」とあり、驚いた
夫の郷里も同県である
昭和30年代の”北国の農村”はこのような環境の家もあったのか、、、
夫は末っ子だったせいもあり、乳幼児だった頃の写真がほとんどない
ここに紐を引いて赤ちゃんをあやす姉らしき子も写っている
十年ほど前、義姉(夫の姉)が還暦を迎えた時、
初めて義姉が幼かった頃の話しを聞いた
2歳くらいの時、母親が忙しくなると誰もいない納戸に閉じ込められ、
どんなに泣き叫んでも出してもらえず、
その頃の恐怖に今でも襲われる時があると言っていた
これらの写真を見て、亡き義母の当時の様子にも思いを馳せた
舅姑の他にも夫のきょうだいが同居、
うち一人は生後脳にダメージを負い重い障害を抱えていた
生まれた子どもの世話を満足にすることも出来ず、
生活のために野良仕事に出かけ、疲れて戻り、やっとわが子に乳を与える
そんな毎日を過ごしていたのだ
それが悪しき習慣とわかっていても、若い嫁はそれを続けるしか生活の糧を得る手段がなかった
義母は晩年、特にひとり暮らしになってから、とても生き生きと、
周りの友人や夫のおじおばと仲良く過ごしていた
そして最期まで「ありがたい、ありがたい」と感謝の言葉を口にしていた
わが夫もしかり
今、自分の住む家が与えられていることだけでも「幸せだ」と言っている
苦しい時代を経験した人は、
感謝する心が育てられるのだろうか
今、今まで買えたものが手に入らなくなり、
行動の制限もかかって多くの人が今まで以上にストレスを抱えている
しかし、それでも私たちの生活は守られている
今与えられている多くのことに目を向けたいと思う
この地方では乳児の死亡率は東京で1000対24のところ、
43.7で倍の数値であった(昭和33年の統計)
このような過酷な環境で夫が無事成長し、還暦も迎えられたことに感謝したい
COVID-19で亡くなる人がいる
自分もいつ感染するかと恐ろしくもなるが、
様々なきびしい環境を経験してなお、
この年まで生き延びることができたことも感謝
そして、今この時、
生きていることは有限であることを意識して過ごしたい