暗い眼差しの私を心にかけてくれた女性との出会い


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今日の夕ごはん

ロールキャベツ、卵豆腐と小松菜のお浸し、

モロッコいんげんとかまぼこの甘辛炒め、白菜と揚げの味噌汁、

ご飯、柿

遠く離れた地に住む友人からキャベツ一玉300円だったと知らせがきたが、

当地の激安スーパーでは200円だったε-(´∀`*)ホッ

暗い眼差しの私を心にかけてくれた女性との出会い

今日も自分史の準備を進めよう

祖父が亡くなった翌年、

私は町に出来たばかりの保育園に入園することになった

私はそこで人生に大きな影響を与えた二人の女性と巡り合う

保育園時代はこの十数名の人との関わりがあった

中でも保育園時代の担任であったおんな先生と、

初恋の人Tくんのお母さんは後の私の人生に大きな影響を与えた

今日は保育園の担任だったおんな先生について綴ろう

いつもこんなふうに遊んでいた
昭和35年の婦人之友より

私が通った保育園はキリスト教系で、園長先生は牧師先生であった

保育園の隣には小さな教会があり、

園児は毎週日曜日教会に行くと、

聖書のみことばが書かれたカードがもらえるので、

私もそれが楽しみで毎週日曜日に教会学校に通っていた

そこで習ったこどもさんびかのいくつかは今でも歌うことができる

私は最近になって、

ある本を通して、この保育園や教会が出来るまでの経緯を知った

これらの施設は、なんと私がお世話になった担任のおんな先生の尽力によって、

建てられたのだった

おんな先生はいわゆる戦後の引き揚げ者で、

私の住んでいた町出身の男性と海外で出会い、

帰国後結婚するためにはるばる遠くの県から私の町へやってきた

それから数々の試練を経てクリスチャンとなられ、

その後、この小さな田舎町の幼い子どもたちにも聖書の教えを伝えたい一心で、

孤軍奮闘して園を設立したということであった

私は牧師であった園長先生の印象はほとんどないが、

このおんな先生のことはとても良く覚えている

私は女ばかりのきょうだいの三番目に生まれたということもあって、

自分の写真自体極端に少ないが、

幼少時代の写真はどれも暗い表情

両親は祖母Bに気を使って、

遊びに出かける時はいつもきょうだいのうち私だけ家に残して出かけた

私はいつも祖母と二人で皆の帰りを待ったが、

なぜ私だけ家におかれるのかわからずいじけていた

両親からの理不尽な扱いをどのように受け止めて良いのかわからず、

やり場のない怒りを抱えていた私

そんな私をみて、

おんな先生はなにか私の内にある寂しさを感じたのだろう

「神様はお雪ちゃんのことが大好きで、

いつもお雪ちゃんと一緒にいるのよ」と温かく励ましてくれた

保育園の壁には羊を飼う少年ダビデの絵や、

イエスさまの肖像画がかけられてあった

保育園時代、寂しいときや困った時は、

そのイエス様を思い描き、

一人たどたどしい言葉で祈りをささげていた

私が大人になってクリスチャンになったのは、

優しい笑顔のおんな先生に、

祈ることを教えてもらったからだと確信している

新約聖書ローマ人への手紙10章14〜15節

前略

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。

聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう

宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。

次のように書かれているとおりです。

「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

クリスチャンが誰一人いなかったあの小さな町に、

教会や保育園を作ろうと決心したおんな先生を、

私は心から尊敬する

保育園時代に神という存在に触れた私は、

30代になるまで神から離れた生活をしていたが、

その後洗礼を受け信仰をいただいた

おんな先生は90歳を過ぎた今も元気で暮らしているという

コロナ禍が落ち着いたら、故郷に暮らすおんな先生を訪ねたい


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